第9回 先読みの薦め

第4代 黒川

 先日テレビで禅僧の修行の日々を追う番組がありました。その中で、日課の内の境内の掃き清めの紹介がされました。約1時間ひたすら庭を回り、ほうきで掃く・掃き集めたごみを捨てに走る。一時に一つのことに専念するということだとの解説でした。

 これに対して、むかし「ながら族」という言葉があったのを思い出した。ラジオを聞きながら勉強したり・テレビを見ながら食事をしたりといった人たちのことでした。今街中では、ケータイを見ながら歩く・本を読みながら歩くといった人たちをよく見かける。これも「ながら族」であって、先ほどのラジオを聞きながらやテレビを見ながらと同様に当たり前になってしまっている。だから「ながら族」という言葉は特別なことではなくなっていて、今はほとんど使われなくなっているのだなと思う。

 コンピューターには「キャッシュメモリー」というのがあります。これは命令によって記憶する部分(主メモリー)から記憶内容(データ)を読み出すときに、繰返し使うことあるいはすぐにまた使うことなどを判断してそこ(キャッシュメモリー)に一時的に貯めておいてすぐに引き出せるようにしておくもののことです。「キャッシュメモリー」には、動作の遅い主メモリーよりも書き込み・読み出しが素早くできるメモリーが使われています。小さいけれどもこれがあることによって、コンピューター全体のスピードがアップするのです。

 ひとの脳の中でも、このキャッシュメモリーに相当するような機能があって、ながら族の行動を支援しているという話がありました。歩きながら本を読む。このときに視界の中に障害物を発見・本の筋を追う・障害物をよける・本に戻る、といった行動がシームレスに行なわれるのは脳の中のキャッシュメモリーのおかげだというわけです。
問題なのは、年とともにその脳内キャッシュメモリーの性能が落ちてくるということです。だから、歩きながら何かをするというのは高齢者にとって危険なことだそうです。

 あるプロ・アマ混合の演奏会でこんなことがありました。プロのひとがピアノに向かいました。そして脇に座った譜めくりの担当は自分でもピアノを弾く人です。演奏が進んでいき、演奏者はめくってよいですよと頭をふります。めくってくれないので更に合図の頭をふります。これを何回か続けてやっとめくってもらえました。同じようなことを何回か繰り返して1曲が終わりました。さかのぼって考えると、演奏者は1ページの半分くらい手前からめくりを要求していたようです。ぶっつけ本番の組み合わせだったのでしょう。めくる人はこんな手前でめくったら怖いということで躊躇していたようです。めくる人は先生をやっていて、ただのアマチュアとは違います。それでもこんなに違うものか、プロはこんなに先読みをするのかとびっくりしたり・納得した次第です。

 さて、合奏では演奏しながら指揮者を見なくてはいけません。今弾いているところの楽譜を追いながらでは目を上げて指揮者を見ることなどできません。少なくとも数小節の貯金を頭の中に持って目を上げる必要があります。指揮者の動きにうっとりとして目を下げるタイミングを失うと貯金が無くなってしまいます。更に目を下げた瞬間に次に見るべき楽譜の箇所をすぐに探し当てなくてはいけません。

 楽譜を先読みしておく・指揮者を見る・その間も演奏は休みなく続ける・その中に表情もつける・指揮者に合わせる。演奏中はそれをずっと繰り返し続けるわけです。
合奏はなんと大変なことをしているのでしょうか。これは先ほどの脳内キャッシュメモリーがフル稼働しているのでしょう。

 個人練習のときに全部の暗譜ができなくても、数小節先を読みながら弾いていくことを意識的に行なえば「指揮者を見る」事が可能になると思います。逆に、今弾いているところを目で追っている練習ではいつまで経っても余裕は生まれません。

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