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7月のある日 富士登山リベンジ

                              7代  PIYON
 昨年は、3100m地点まで元気だったのに、そこでの休憩にドーナツを食べた頃から、じわじわと胃の調子が悪くなり、やっとの思いで3400mの「トモエ館」に着くと、いつの間にか頭痛も加わって完全に高山病にノックアウトされ、あと一息だった頂上は断念せざるを得なかった初挑戦でした。
 あの時は悔しさで「来年リベンジ」とは書いたものの、今年娘は行かないと言っているし、さてどうしようか?と迷っている頃、5年間の準備で80才にしてエベレストに挑戦した三浦雄一郎氏についてのドキュメントを偶然見てしまいました。その中で、
「ただ歩くのは勿体無いから、重りを付けて歩いてるんです!目標を持つ事が大切!」
「幾つになっても筋肉を鍛えることは出来る訳です。」と語っているのを聞いて、
「そうだよね。私の方が若いのにこのまま諦めるのは情けないかな。」
オヤッ!そういえば以前にも、
「体力をつけるために、足に重りを付けて歩いているんですよ。」
と話していた人がいた事を思い出しました。記憶をたどると、それは正に雄一郎氏のお父さん(100才までスキー滑走していた方)で、その話を聞いて
「歩きながら筋肉を鍛えるのは一石二鳥!素晴らしい!」
とすぐに飛び付き、早速次の日スポーツ店で片足500gずつの重りを買い、足首に巻いて暫く使っていた自分まで思い出しました。
 そうだった。私もやってたのに!何故、何時やめてしまったのか?あれ何処かに有るはず!この2か月毎日使えば筋力が付いて、もしかしたら富士山頂まで行けるかも!
 そんなこんなで、三浦お父さんに教えてもらいすっかり忘れていた「重り」を、三浦お子さんに思い出させてもらったのも何かのご縁。「迷っているならやってみなさい!」と後押しされているようで、やってみようか!という気分に段々なってきました。
トレーニングといっても
・毎週水、土の2回…母のホームまで往復2時間歩く。
・毎週火…イオンの階段を1~5階まで10往復する。(私にとってかなりキツイデス)
・毎週4回カーブス
・出来るだけ重りを付けて動く。
富士登山説明会への参加
 昨年はネットの情報だけだったので、少しでも生の情報を得るべくある旅行会社の富士登山説明会に参加してみました。その中で役立ったものは以下三個のサプリです。
              
鉄分の補給
鉄分を補給することで、血液中のヘモグロビンんを増やし、
酸素の供給を増やす。
それによって、酸素不足で高山病になるのを防ぐ。
2週間前から1包ずつ飲んでおく。
「これを飲んでいった人は、今まで全員頂上に行けました。」
の言葉につられ、買ってしまう。   


アミノ酸サプリ
心肺機能、持久力、瞬発力、筋肉増強、
疲労回復に効果があるそうです。
筋肉の損傷を回復するので運動前後に飲と、筋肉量が増え、効率よく脂肪を燃焼させ、基礎代謝をあげ、パワーアップ、スタミナアップするのだそうです。              


食べる酸素
これを食べると酸素が増えると思ったら大違い。
これを採ることで、血流がまし酸素を運搬する機能が
高まるのだそうです。




滋養強壮剤
これは、私のアイディア
アミノ酸サプリと一緒に取ると
さらに効果的になるのでは?との思いから。
電話で確かめるとその通りOK。
これで,サポートサプリは万全!
去年よりは、かなり安心感が出てきました。


しかし、こんなにサプリを準備して登れなかったら真っ青ですね!(^^;

コースと日程選び
コースの中で、最短の富士宮口コースか昨年同様一番人気の富士吉田スバルラインコースか大分迷いましたが、小屋も多いし途中まで登っているのでやはり昨年と同じコースにしました。
 日程は、数あるツアーから2つと、全くのフリーで考えました。
①1日目に3400mまで行く。30~40人にガイドが2名。女性安心宣言あり。
②1日目に3200mまで行く。15人にガイドが1名。女性安心宣言あり。
③新宿高速バス=自由登山=予約の小屋泊=自由登山・下山=新宿高速バス
 真夜中登ることが自分にできるのか甚だ迷ったのですが、一度経験してみようと考え、
最少人数で登り、しかも昨年ばて気味になった手前で泊まれる②に決めました。
 また、登る日にちは、昨年8月末で非常に風が強く寒かったことを考え、今年は梅雨明けで多分天候の安定しているであろう7月末を選びました。

いよいよ出発12時半(2300m~)
 30分前にユンケルローヤルC2とスーパーバームをしっかり飲んで準備万端。私達のチームは女性ばかりの11人でした。最年長はたぶん私でしょう。ほとんどが30歳以下とお見受けしました。その中のお一人は、前日再就職先からの内定連絡があり、2日おいて出社となったので、急に思い立ち予約を入れ、ザックや靴等々買い揃えやって来たと言うのです。「思い立ったら吉日」とは言いますが、行動力が凄いです!
呑気におしゃべりをしながら40分。
2400mの六合目に到着
 ここからはジグザグの本格的な登り道になります。高山病対策の三箇条
「ゆっくり!水分の補給!深呼吸!」を心に刻んで進みます。
1回休憩を挟んで2700mの七号目に到着
 昨年の行動食はで固形物ばかりで失敗したので、今年は胃に負担が少なく吸収されやすい物、口の中で溶ける物を選びました。また、汗で塩分が失われ足がつってしまわないように、食塩を持参し休憩の時は必ずなめるようにしました。
七合目から約2時間は岩場を登ります。ユンケルやアミノ酸、食べる酸素タブレット、食塩、ブドウ糖のお陰か…以外に体が動き呼吸が楽に感じました。
昨年のツアーは人数が多く、後ろの方にいるとペースが乱れ大変だったので、今回はできるだけガイドさんのすぐ後ろ順をキープして歩かせてもらったお蔭かもしれません。


3200m八合目「白雲荘」18時到着
 昨年より200m下。時間にして40分前で今回は泊まります。寝る場所に案内されたと思ったら、「夕食を食べてください!」との指示。次々お客さんが着くので、どんどん回転させたいらしいのです。
 昨年食べられなかった夕食のカレーライス。今年は半分食べられました。気持ち悪さも頭痛も無いのですが、なんとなく微妙な体調ではあります。

 夕食後歯磨きに外に出ると、うっとりする夕焼けが見えました。明日の登山指数はCで、登山向きのAに比べると風邪や雨で不向きとなっていましたが、もしかしたら晴れるかもという期待が出てきました。



19時~0時小屋での休息タイム
 田部井淳子さん愛用の「グリナ」で少しは眠れるかと思ったのですが、廊下を歩く足音や新しく到着した人々の声、重なっている布団、狭いスペース等々なかなか寝付けません。どことなく頭が痛く、胃の調子もいまいち…。「寝ている間に高山病が進むから、寝ないで深呼吸している方がいい。」との情報もあったので、少しでも酸素量を増やせるかもと、明日飲む予定の鉄分を飲んで深呼吸しながら、「明日行けるかなぁ?」大分気弱になって横になっていました。
0時起床~0時半出発
 「起きてください!」の声に、リポビタンとスーパーバームをすきっ腹にゴクンと入れ、ダウンコートを羽織り慌ただしく荷物を背負い、真っ暗な中を出発です。
「リベンジだもの行くしかない!」ヘッドランプで照らされた丸い地面だけを見ながら、真っ暗な闇の中をひたすら遅れないように一歩、また一歩。
混まないように平日を選んだのですが、それでも登山道は行列で、広いところは2列になって登っていきます。
 登山指数Cだった筈の天候も、有難いことに夕焼け通り晴れて風も無く、強風で-2℃の体感気温だった昨年とは大違いでラッキーでした。
空は満天の星。「あっ!流れ星!」「どこどこ?」無数に輝く大小の星屑を眺めて休んでいると、苦しい登山の途中であることを一時忘れそうになります。
 昨年の最高地点3400mのトモエ館も通過し、出発から2時間20分経った頃、
「はい。よく聞いて下さい。座って休める休憩はここが最後です。10分砂利道を歩き、あと30分は最後の岩場なので皆で休めるところはありません。苦しくなったら、自分で脇によって休んで、自分のペースで来てください。後ろの人は追い越していいですからね。」どことなくガイドさんの声も緊張気味。ハリ~ここから40分間休みは無いんだ!逆に言うと40分頑張れば頂上に立てるんだ!
「ほら鳥居が見えるでしょ!もう一頑張りですよ!」ガイドさんの声にまた一歩、また一歩。いよいよ最後の急な階段を登り出し、「あーもう駄目かも。気持ち悪い!」貧血を起こす一歩手前のような状況の時、出発から3時間丁度で、やっと頂上につきました。
やったー!リベンジどうにか成功!バンザーイ!!
(「コルディアを飲んだ人は、皆上まで行けました。」というのは本当だったかも。)
頂上で(3時30分~5時)
 日の出の4時45分までは自由時間です。沢山の人達が、何軒もある茶店でトン汁や、みそ汁などを頼み、小屋でもらった朝食のお弁当を食べています。私はうどんが食べたくて頼んだのですが、実際手に取るとおつゆばかり飲んでうどんは半分残していまいました。それにしてもお弁当をムシャムシャたいらげている皆さんの元気にビックリです。
 浅間神社にお参りして、日の出を待ちます。

 太陽の上に雲一つない素晴らしい御来光を見ることができました。お鉢周りに行った人たちは、富士山を挟んで太陽と反対側にある雲に富士山が映る「影富士」というめったに見られない現象を見ることができて、とても感動していました。何のトレーニングもせず前日思いついて来た29歳の女性もしっかりお鉢周りに参加していたので、流石若い!と感心しました。私も来年は1時間半分の体力を残して、お鉢巡りまでできたらいいのですが…。
下山5時~8時

 下山道は溶岩の砂利道で、ジャラジャラずるずる足をとられて滑りそうになったり、前の人の足元から舞い上がる砂埃を浴びながら、単調な道をひたすら耐えて下ります。  
 途中上を振り返ると、急角度にそびえ立つこげ茶色の山頂が晴天の青空と対比してくっきり浮かび上がり、その坂を強い日差しを浴びながら列になって挑んでいる人達が小さく見えました。(携帯では撮影できなかったのが残念!)
「あんなに急だったんだ!よく登れたものだワイン!」思わずつぶやいていました。
真夜中に登るメリットはあるかも!
 今まで夜登るのは危険な気がして、明るくなってから登る方が賢明と思っていたのですが、下っている時の暑さと、急角度で頂上まで続いている道を目の当たりにして見ると、真っ暗で何も先の様子がわからず、しかも涼しい夜の方が登りに向いているのでは?と思えて来ました。
8時五合目到着
 登りは8時間半(休憩を含み)もかかったのに、帰りは途中から自由行動にしてくれたお蔭もあり、紺碧の空のもと、周りの山々や裾野の山中湖辺りの景色に癒されながら、「ソフトクリーム」を目指し、一気に3時間で下山してしまいました。

 五合目付近で、可憐に咲く小さな鬼百合とホタルブクロを見つけました。富士山麓の花の時期は一カ月半と短く、この期間に沢山の花が一斉に咲くのだそうです。



 今回のツアーは、登りは少人数で下山は各自のペースで自由。2日目の11時には五合目を出発し、近くの日帰り温泉で入浴と昼食休憩でたっぷり2時間。それでも新宿には4時半に到着で昨年より早く帰れる中々良い日程でした。
 そして天候に恵まれ「富士登山登頂証明書」を頂けたことは、ラッキー・GOODでした。

(少しでも荷物を軽くするためデジカメは持参しなかったので画像は古い携帯によるものです。お見苦しい点はご容赦ください。)

 余談1
 7月26日から始まったNHK土曜夜9時の『芙蓉の人〜富士山頂の妻』(新田次郎作)をご覧になっていますか?8月16日が3回目で全6回のドラマです。
 明治25年(1892年)、日本の気象予報を正確に把握するために、富士山の山頂に観測所を設置しようと、自分の私財を投じ協力者と共に建築資材を運び上げ、高山病と戦いながら小屋を建て、サプリも便利な登山用品も無い中、厳しい冬に耐えながら富士山の登頂を試み、そこで冬の気象観測に尽力を尽くした野中到とそれを献身的に支え、行動を共にした夫人・千代子との夫婦愛と人生を描いたノンフィクションです。
 何事にも先人の苦労はあるものですが、その強い意志に圧倒されます。

余談2
 幾日か前の新聞に、
「80歳で水中歩行から始めて、今は1500mを泳ぐ100歳の方がいる」と書いてありました。
ワンダフルライフという番組の初回は、
「90歳で100m世界新記録を出し、95歳の大会目指し日々トレーニングを重ねている」という日本女性が取り上げられていました。
 高齢なのに、ビックリするような方々。大正時代のお生まれで戦争時代を経験し、水道、ガス、電気器具、交通手段が今ほど発達していない中、体を一生懸命動かして生活していた事で、自然に体を鍛えてこられた方々でしょうか。
「62歳なんて若い、若い!歳だなんて何言ってんの!」
「富士登山ぐらいで大騒ぎしないでよ!」
「サプリや栄養剤に頼らず、自分の体を鍛えなさい!!」
とはっぱをかけられそうです。(^^;

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ゆるやかな風  第22回 ヨーロッパ旅行記―フランス編

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ゆるやかな風  第21回 三連水車(大学巡り-4)

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第31回BACHゆかりの地の旅(完)-10代の仲間とのドライヴ旅行

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ゆるやかな風  第20回  第5代同期会(2014年5月16日)

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私の愛読書

ギター仙人

 退職するまでに、都内への電車通勤が約40年間続きました。朝早い方なのですし詰め状態ではないものの、座れないので居眠りはできません。しかし、読書ならできました。   そこで、私の通勤時間の大半は、格好の読書タイムになりました。
最初の勤め先の最寄り駅は、京浜急行の平和島でしたので、北浦和からだと片道1時間以上電車内で過ごすことになりました。その後転勤によって、御徒町、赤羽、東武練馬、大山、人形町、南千住と変わりました。近い、遠いがありましたが、一日の平均車中時間は、1時間以上あったでしょう。
この時間は、何か  どうしても考えなければならないときは別にして、大半は読書に費やされました。40年とは言えないまでも、少なくとも25年以上はこれが続いたように思います。
 私のカバンには、いつも文庫本を2冊入れていました。文庫本なら混雑した車内でも読めるし、1冊読み終わったときのために2冊目も用意していたのです。今でも電車に乗ると、条件反射のようにカバンから文庫本を出しそうになります。

 そんなわけで、いろいろな本を読んだのですが、私の読書の傾向は、だんだんと歴史的なものに偏っていきました。
 そして、池波正太郎の小説に出会ったのは、15年くらい前だったでしょうか。最初に読んだのは『剣客商売』でした。読み出したらやめられなくて、一気に最後の17冊目まで読み、続いて、番外編3冊も読んでしまいました。会話文が多くて読みやすいので、全部読んでもそ れほど時間はかからないのですが・・・。
 『剣客商売』シリーズがとても面白かったので、次から次へと手を出し、エッセイを除く小説はすべて読んでしまいました。池波正太郎の作品は、『剣客商売』のほかに『鬼平犯科帳』と『仕掛人 藤枝梅安』のシリーズが特に有名です。大長編としては『真田太平記』12巻、そのほかにも、長編・短編が数えきれないほどあります。これらの池波正太郎の小説、全部で120冊ぐらいが家の本棚にあります。ただの文庫本なのに、私にとっては実におもしろくて、今でも大切にしている本なのです。
 たいていの小説は、一度読んだらそれでおしまいで、もう一度読もうとは思わないのが普通です。ところが池波正太郎の小説は、読んでから2~3年たつと、もう一度読みたくなってくるのです。ですから、『剣客商売』も『鬼平犯科帳』もすでに3~4回読んでいます。不思議なことに、読むたびに別の味わいや発見があり、味の深まりが違ってくるのです。
 池波正太郎の小説は、登場人物の人となりが魅力的で、巧みにストーリーが展開されるというだけではありません。時代背景、人物の面白み、江戸の風物、季節感のある食べ物が、そこここに散りばめられています。そして、ときどき作者の人生観が反映された、含蓄のある言葉が出てきます。これがまた、「そうだ、そうだ、全くその通り」と、私に思わせるのです。
 では、全然読んだことがない人に、池波正太郎のおもしろさを伝えるために、一冊だけ紹介してみましょう。

『夜明けの星』(文春文庫 284ページ)1980年の作品

 この物語は、「お道」という娘が、小間物問屋の若松屋で働きながら、人として、女性として次第に成長していくこと、それと、仕掛人に身を落とした「堀辰三」という浪人の生きざまが、並行して語られていきます。
 堀辰三は、父の敵を探してもう何十年も巡り合わず、絶望的になって巷をさまよっていました。空腹に耐えきれず、父の形見の煙管を金にかえようとして、仕事中の煙管師に声をかけました。しかし、煙管師が取り合ってくれないことに逆上してしまい、とっさに煙管師を斬り殺してしまいます。
 煙管師には、お道という一人娘がいました。母親を早くに亡くして、父親も亡くなり、お道は13歳で天涯孤独の身の上になってしまいます。
 不幸な目にあったが気立てのよいお道に、近所の人たちはいろいろと親切にしてくれます。しかし、いつまでも人の世話になっていてはいけないと考えたお道は、岡っ引きの女房がやっている料理屋の座敷女中になります。すると、そこで働くお道に目を付けたのが、「若松屋」のお内儀の「お徳」です。お徳に請われて、お内儀さん付きの女中として、お道は16歳で若松屋に奉公することになるのです。

 江戸でもそれと知られた小間物問屋、若松屋の当主は「長兵衛」ですが、実際は、お内儀のお徳が、店の経営から奥向きのことまで一切を仕切っています。お徳は、奉公人が笑顔を一度も見たこともないというほど愛想がなく、部類の潔癖な性質で、家中の誰に対しても厳しく、やかましい人です。火鉢のふちにうっすらとほこりがついていても、奉公人をこっぴどく叱りつけるという人です。
 お徳と長兵衛の間には一人息子の「芳太郎」がいて、3回もお嫁さんをもらったのに3人とも実家に戻ってしまいました。お徳がどの嫁もいびり出してしまったと、世間はうわさしています。
 4度目の相手の「お信」は気が強く、これなら大丈夫とまわりも思い、芳太郎も気に入っていたのですが、お徳が注意すると、何とお徳の頬に平手打ちをくらわせ、実家に帰ってしまいました。このとき、お徳はこう言います。
「あの娘は今までの嫁の中で、一番見込みがあったのですがねえ・・・。お信は気が強いだけでなく、女の見栄がありすぎるのですよ。それが、お信の倖せの邪魔をしている。ですから、そこを私が直してやろうとしただけなんですがねえ・・・」
 さて、こういうお徳付きの女中になったお道は、かしこくて、気ばたらきのよい娘です。何度も叱られ、厳しくされても、一つ一つの仕事をしっかり覚えて一生懸命働きます。2年もすると、お道の中に女の意地が出てきて、
(こうなったら、お内儀さんが、いくら突っこんできてもひけをとらないように、働いてみせてやる)
と考えるようになり、われながら、お道は自分の底意地の強さを知るのです。

 一方、とっさのことに煙管師を惨殺してしまった堀辰三は、悔やんだがもう遅く、捨て鉢になり、もうどうでもよくなってしまいます。そして、浪人仲間から誘われたのをきっかけに、暗黒街の顔役に剣術の腕を買われ、依頼された殺しを金で請け負う仕掛人になってしまいます。こうした堀辰三を特別な人間としてではなく、人間通のこの作者らしい見方をしています。
「人間は、理屈にたよって自分の悪徳を当然化したり、忘れてしまったりするのが得意な生きものなのだ」
 こうした、世の中を捨てたようにして、凄腕の仕掛け人として生きている堀辰三ですが、煙管師を殺してしまったことを悔やんでいるのです。お道が煙管師の娘であることも知っていて、破格の一両小判をやろうとしたこともあるのです。
 物語の終わりの方では、20年以上もたってからのことが語られていきます。38歳になったお道は、どうなっているのでしょうか。また、64歳の老人になった堀辰三はどうしているのでしょう。この二人はひょんなことから出会うことになるのですが・・・。

 不幸な境遇に負けることなく、明るく、そして人々に気遣いながら、けなげにふるまうお道。現代には、もうこんな娘はいないのだろうかと考えさせられます。お徳の厳しい指導の徹底ぶりも小気味よいくらいですが、これに耐え、
「見込みがあるから躾をしてくれるんだ」
と考えることができるお道のかしこさ、芯の強さもたいしたものです。
 お徳のような女傑は、今でもけっこういるような気がします。
 池波正太郎は、男っぽさを書くようなイメージですが、登場する女性たちもかなり魅力的なことが多いのです。
 ときどき、この作者らしい含蓄のある言葉に出会います。これは、すべての作品に言えることです。『夜明けの星』の中にもこんな言葉があります。
 お道に親切な岡っ引きが、自分の女房に話しているの場面で、
「女という生きものには、過去も将来もない。ただ、いまの自分があるだけだ」
というのがありますが、これなどは池波作品によく出てくる言葉です。
 次は、お徳がお道を叱る言葉です。
「お前は此処へきて2年もなるというのに、まだ、掃除ひとつ満足にできない。それというのも、掃除を掃除だけのものと思っているからだ。掃除が満足にできる女なら、それが女の天下をとれる。それが、まだわからないのか。」
「掃除が満足にできる女は、女の天下をとれる」って、おもしろい言い回しで、なかなか含蓄があると私は思うのです。
 一度読んだだけでは、ストーリーを追うことが先になってしまい、こういうところに気づかずに過ぎてしまうのですが、2度3度と読んでいると、
「うーん、うまいこと言うなあ」「ほんとに、その通り」
と感心してしまうのです。
 みなさん、池波正太郎はおもしろいですよ。是非、読んでみてください。

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ちょこっと雑学ギター編

7代 POYO

Q1.指版の反り返りのチェック方法は?

Q2.下の器具は何に使うのでしょう?



Q3.腕についている物は何でしょう?



A1.
 反り返りを確認する時は台などに置くのではなく、普段弾いているように座ってギターを構えた状態で確認します。
 1フレットと最終フレットを押さえて中間のフレット(5~12)と弦がどれくらい離れているかを見ます。ここの隙間に便箋1枚~名刺1枚分位がすんなり入れば正常でOK。
 隙間が大き過ぎればU字の順反りすぎで、逆にフレットと弦がくっつくとか隙間がほぼ無いなどは、逆U字に反り返っていることになるそうです。
 以上は、あるギター本によるのですが、以下の現代ギター社YouTube版では、台の上において検証していますし、その他色々な方法が紹介されています。
 ギターにやさしい管理法6【月刊「現代ギター」2012年9月号】
 ※反り返りについては、弾かない時は弦を緩めておけば反り返らず、弦を緩めないと反り返ると一概に言えるものでは無いようです。

A2.正解は、アリアのAGS-10というギターサポートでした。

私は足が短いので(..)、ギターを弾きやすくするためには、足台を高くせざるを得ません。そのせいか寄る年波のせいか、最近は足がしびれることが多くなりました。。



そこで一番安くて、軽くて、小さいギターレスト(サポート)を購入してみました。
・115g
・折り畳むと、7×14×一番厚いところで2.5センチ位



 丁度いい位置に目印のシールをはって、取り付けをしています。吸盤なのでギターに傷もつかず、取り外しもいたって簡単です。たたむとぺちゃんこになるので、時々つけっぱなしで、そのままケースにいれてしまうことも。。。


 しかし、作りを見ると何ともお粗末?で、膝に当たる布の部分の片方は接着剤で、もう一方は鉄板にビニルテープで固定されてあるだけなのです。これって布が駄目になった時、新しい布と取り替えやすいようにとの配慮から?
Made in Austriaと書かれていますが、この作りと材料からして、3000円強の値段は高すぎですよ!!
 とは言っても、お陰で足がしびれることは無くなり、平らな所に座っても弾けるので、とても重宝しています。値段とたまに外れる以外は、今のころとても優れ物です(*^^)

A3.正解は鍼でした。
 鍼の種類は違いますが、どちらも置き鍼といって3~4ミリの鍼が肉に刺さっています。
 左の写真は相方で、ここ数年右手人差し指で弦を弾くと弾いたままの形で指が固まり元に戻らず、次の音を弾くことができなくなっていたのです。流石におかしいい!どうにかしなくては!という事で、昨年11月頃から症状をPCで検索していると、自分と同様の症状について解説している先生を発見。
 思い立ったら吉日とばかり早々に診てもらうと右手人差し指が巻き指という腱鞘炎の一種と分かりました。先生は大学ギター部出身で、弾きすぎで腱鞘炎になり、一時ギターは完全に辞めていた方だそうです。その後、ご自身で鍼治療をして治し、再度ギターを弾くようになったとか。治療室にはいつもギター曲が流れていて、当然プロと思っていると、ご自分の演奏をCDに入れ流されている場合もあるようで、腕前はかなりみたいです。
 従って、ギター弾きの指の動きは先刻ご承知で、リハビリ方法など細かい点までアドバイスしてもらえ、この半年通った甲斐と本人の努力もあり、弾いた後に指が内側に曲がったままになる状態からは脱しつつあるようです。
 11月後半からもう半年、毎週1回5400円也で通っていますが、いうことを利かないのに騙しだまし何年も弾いてとことん悪化させてしまったので、戻るまでは最低でも1年の治療は必要でしょう~!?毎週1会社帰りに往復1時間余計にかけ通院するのも大変だし、思わぬ散財でさんざんですね!?



 恥ずかしながら、この萎びた腕は私です。
今年の2月の2回目の雪の時、スイスイ体が動くのでスイスイ雪かきをしてしまったのが仇になりました。
 何日かして肘が痛くなり、1か月経っても筋肉痛だから治るはずと信じて、普通に動かしていたのが甘かった!2か月経っても治らず、そこでやっと、左肘と右肘を比べてみるという馬鹿さ加減!すると、右がかなり腫れているのを発見して大慌て!2か月何をやっていたんだろうと呆れ、仕方なく整形へ。診てもらうとテニス肘と言う腱鞘炎で「長くかかりますよ~。」と脅かされ、2週間分の炎症をおさめる薬を貰い飲み切りました。が、腕の腫れも痛みも全く良くなりません。「これでだめなら注射」と言われていたので、同じはりなら注射よりは鍼だ!と思いPCで検索。
 3か月に突入する寸前、偶々みつけた近くの長野式と言う鍼治院に行ってみました。するとそこは、この方法では関東で4人県内で1人しかいないマスターの資格を持っている先生の所でした。
 現在肘に鍼が4本入っています。肉の無い部分なので痛そうでしょう!でも全く痛くないのです。現在通い始めて4回目。薬を飲んでもダメだった痛みや腫れも少しとれてきたので、3か月くらい通えば治るのでは?と期待しています。
 因みに私の場合、電器などの保険治療と鍼治療を合わせて大体1回が1000円以内。週3回行っても相方の3/5以下で済むのでとてもラッキー!です。
 
 今回の事態は、ギターを弾くことで、指を動かす負担が肘にきていたせいもあると言われました。萎びて筋肉が落ちていた腕は、ギターを弾くことで鍛えられるどころか、いつもの雪かきに耐えられないほど老化していた訳です。自分勝手に逆効果のリハビリをしたり、3カ月放っておいた付けは大きく、暫くギターは弾けなくなってしまいました。ガクッ!

   お互いに誠にお粗末!鍼三昧の散財で散々!
   これも身から出た錆!自業自得!なので仕方がありません(^^;
 
   皆さん、くれぐれも御身お大切に!お過ごしください。 

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