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ちょこっとニュース速報 染谷さんの作品がはせべ企画出版の曲集に掲載されました!


長谷部二郎ほか編/楽しいギター曲集(独奏・二重奏・合奏)
<独奏>
染谷正雄/カンシオン、染谷正雄/ワルツ、長谷部二郎/ワルツ第1番、長谷部二郎/インスタントカップソナタより第2楽章、長谷部二郎/インスタントカップソナタより第3楽章、石田 忠/12月のハバネラ、石田 忠/4月のハバネラ、石田 忠/11月のハバネラ、石田 忠/エレジー、石田 忠/まなざし、佐藤弘和/陽だまりの詩、佐藤弘和/スプリング・デイ
<二重奏>
ヴィヴァルディ~大山幹夫・編/ラルゴ(“四季”~冬:第2楽章)、スメタナ~大山幹夫・編/モルダウ、長谷部二郎/秋のかほり、佐藤弘和/風と雲のメロディ
<三重奏>
宮澤賢治~深代朋子・編/星めぐりの歌、すぎやまこういち~深代朋子・編/亜麻色の髪の乙女、石田 忠/It’s Dancetime !、石田 忠/ふふふっ、石田 忠/水面ゆらゆら、石田 忠/春のサラバンド、長谷部二郎/小さな夢

はせべ企画出版 ¥1,800 (本体価格)+税
♪ギター独奏、二重奏、三重奏のオリジナル、編曲作品を集めた曲集です。

 曲集紹介のホームページ

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11月のある日 丸山ハイキングに思わぬプレゼント

―所要時間4時間(昼食、休憩を含む)  歩行数約30000歩―
7代 新保

 昨日の雨とは打って変わって快晴山日和。今日は、「あしがくぼ果樹園村から丸山へ」と言う西武鉄道主催の「ウォーキング&ハイキング」の日です。娘達も行く予定だったのですが、ここ数日の冷え込みからか「寒いから今回はやめます。」とメールが来たので、独りでの参加となりましたが、返って気楽でこれも良しです。
 武蔵野線の新秋津で降りると、もう山姿の団体やらグループやらで秋津駅までの道は溢れていました。所沢から乗り換えた快速の車内は、都内から来た人達との合流で更にいっぱいに。でも私は座れました。こういうのって正に独り行動の良さですね。ラッキーと思いっていると、同じボックス席の前いる二人の女性の小声が、私の耳の奥まで入ってきました。
A「うちの主人退職したんだけど全く動かないのよね。三食作らなきゃいけないのでやんなっちゃう。」
B「そうなのよね。全くお茶も入れないんだから。」
A「今度から1杯だけは入れて、あとはご自分でどうぞって言うのがいいわね。」
B「そうそう、主婦がいないと何にもできないんじゃ困るもの。」
A「そう言ったら、『大丈夫。いない時はちゃんとできるから』っていうのよ。」
B「退職したら、お互い同じ状況なんだから半分ずやるのが当たり前よね!」
等々…愚痴がかなり続いていました。
 わたしは共働きだったので、同じに働いているのに家事の負担がこちらにばっかり来るのはおかしい。もっと協力してくれるべきなのにといつも思っていた事をボーっと思い浮かべたりして、でも今はそういう悩みからほゞ解放されてきたかなーなんて他人事になって、「お二人とも頑張ってください。大変ですね!」と心で呟きながら、本を読み始めました。しかし、先日有料会員のページに掲載された土岐さんの退職後の「主夫生活」を読んでいて、ふと上記の会話を急に思い出し、同じ退職者なのに大違い。土岐さん偉い!退職者の鏡!毎日家族6人分の家事を一手に引き受けているなんて!と、本当に感心してしまいました。(まだの方は、有料会員「ゆるやかな風NO13」をお読み下さい。)
 
 芦ヶ久保に9時33分到着。速足でサッサか改札を抜け、いざ目指すはトイレ。オーッ!ガラガラ、有難い。実は初めて参加した時、申込みとかなんとか分からずに周りの人を見てノンビリしていたので、トイレに行ったときには既に長蛇の行列でしんどい思いをしたのです。

駅から丸山登山道入り口まで
 申込みをして地図を貰い9時40分出発。こういうハイキングイベントは参加者が多く、要所要所に矢印があり道案内の人もいるので、独りで参加しても安心で有難いです。外資系ファンドの意向で、この西武秩父線が廃線になるならないと問題になっていましたが存続してくれて本当に良かったです。
駅から30分位は、舗装道路のかなりきつい坂道です。同じ道を登って日向山に行った時は結構バテタのでゆっくりペースでフーフー。

 舗装道路から山道に入ると、急に見晴らしが開けセメント用に切り取られた武甲山北側の山肌が痛々しく目の前に迫ってきました。何とも気の毒な山です。
 この景色を眺めながら一服しているご夫婦。70才半ば位でしょうか?
「結構きついね。」
「そうだなぁ。普段スーパーに行くくらいしか歩いていないからなぁ。」
「ここまででこんなに疲れちゃって、これから先まだまだでしょう。
 頂上までいけるかしらねぇ?」
「えっ!普段歩いていないのに、こんな山にきちゃったの?」ビックリしながらながら傍を通過したのですが、あの方達はあの後どうしたでしょうか?

丸山登山道入り口から高篠鉱泉郷分岐まで

45分のコースタイムで標高500mから910mへ410mも一気に高度を上げるのです。急坂には落ち葉が積もって滑りやすく、道幅は広く岩がゴロゴロしていて掴まる木等が無く、とても歩きにくいです。富士山で教えてもらった「ゆっくりと息を吐ききってから吸う」ようにして、「歩幅は小さく斜めにジグザグ」と登っていきます。このジグザグ歩きは、NHKの登山教室でやっていた方法ですが、斜めに行くので直線で行くより歩数は多いのですが、高度がゆっくり上がるためか、疲れにくいのです。
(写真)かなりの坂なのに、急坂に見えないのが残念!

高篠鉱泉郷分岐から県民の森へ

 急坂に耐え分岐までやっとの思いで到着すると、柵のある平らな道が現れました。こんな山の上に、こんなきれいな整った道があるなんて!ビックリしながら、「楽ちん、楽ちん。」カラマツ等の紅葉を楽しみながら歩いて行くと、「おや?!なに?!」「何か聞こえる!音楽?」  

思わぬプレゼントが!
 平らな道の突当りは県民の森でした。こんな山の上に資料館もあり、トン汁300円の販売もしています。更になんと屋根付きコンサートホールまであり、その真ん中で若い女性がバイオリンを演奏しているのです。オーッさっきの音色はこれだったんだ!なんと素晴らしいプレゼント!ここまでの疲れがすっ飛びます!(*^^*)

 演奏も後半だったらしく「一日の終わり」と「めぐりあい」の2曲だけで終了。残念!さて、丸山まで行ってお昼にしようと思っていると、次の演奏者が準備を始めました。クラシックギターとオカリナです。
 ギターかぁー!さて、どうしようか?ちょっと迷たのですが、ここでお昼にする事にしました。曲は陽気な「マイムマイム」で始まり「水色のワルツ」「夜明けの歌」「ふるさ」等々みんなが知っている曲が次から次へと演奏されていきます。青空晴天でも山の上での吹き抜けとなると、風は冷たく指を動かす演奏は大変そうでしたが、メロディーを奏でるオカリナは、あんな小さな楽器なのに二つがハモッテ心地よい音色でよーく響いてきます。伴奏のギターには屋外でもありマイクスタンドがセットされていました(..)。こういう開放感のあるところでお昼を頂きながら聴く音楽も良いですね!
(思わぬところで税金が使われていると初めて知りました!また、楽器機材があるという事は、こまで車で来られるという事も。ガクッ(*_*;!)

県民の森から丸山へ


生演奏のプレゼントを聴きながらのんびりお昼を頂いてから、休み過ぎて重くなった足でえっちらおっちら20分で丸山山頂着。ここは周りが良く見えないので、見晴らし台から眺めるようになっています。県民の森でお昼にして大正解でした。
 今年はどこも紅葉の色がいまいちですね。
さて、下山です。うっそうとした杉林の中の道は、杉の枯葉がクッションになっていて中々歩きやすいです。こんなに杉があるという事は、花粉が飛ぶのも然り!タッタカ下りて、1時40分芦ヶ久保駅着。

アーモンドと干しぶどうとチョコレート
 帰りの電車もラッキーなことに座れました。前の人がチョコを食べていたので、私も残りの一握りの食糧「アーモンド5個、干しぶどう5個、一口チョコ2個」をむしゃむしゃ全部食べて、水分もごくごく飲みました。
駅から家までの足がいつもより軽かったり、帰宅後に疲れをさほど感じなかったのは、もしかしてこのエネルギー補給の効果かも?これは新発見かも!
(特に干しぶどうは、即効性の高い食品のようです。)

今回の参加者
 殆どが65歳以上の方で、10人位や2.3人のグループの人達もいますが独りも結構多かったです。兎に角、皆さん高齢者とは思えぬお元気さでした!現役の場合は、せっかくの休日に、わざわざ疲れるために山に行こうなんて考えないんでしょうね。

参考 西武鉄道ウォーキング&ハイキング日程はこちらです。
       街中や公園、川などを巡るコースも多いです。

http://www.seibu-group.co.jp/railways/enjoy/walking-hiking/walking/index.html

参考 武甲山の石灰岩採掘について – Wikipediaより
武甲山の石灰岩は日本屈指の良質な大鉱床であり、可採鉱量は約4億トンと推定されている。山の北側斜面が石灰岩質であるために古くから漆喰などの原料として採掘されていた。明治期よりセメントの原料として採掘が進められ。1940年(昭和15年)に秩父石灰工業が操業を開始して以降、山姿が変貌するほど大規模な採掘が進められ、とくに北斜面で山体の崩壊が著しい。
1900年(明治33年)の測量では標高は1,336メートルを記録したが、山頂付近も採掘が進められたために三角点が移転させられ、1977年(昭和52年)には標高1,295メートルとされた。2002年に改めて三角点周辺を調査したところ、三角点より西へ約25m離れた地点で標高1,304mが得られ、国土地理院はこれを武甲山の最高地点と改めた(国土地理院の発表日時:2002年11月8日(金)14時00分)。そして、地図上では1,295mの三角点と最高地点1,304mの両方を表示することとした。

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ラプソディ・イン・ブルー~香港狂想曲旅日記

10代 太田

 今年の夏、「バッハゆかりの地への旅」の佐藤氏から連絡があり、国慶節の頃に約1週間の休暇があるので広州に来ないかとのお誘いがありました。あいにく私は仕事を休めず、大城さんだけ遊びに行くことになりました。(詳しくは「中国 順徳・広州旅行~第10代佐藤さんを訪ねて」参照)私も行きたくなり、11月に香港旅行を提案し、一旦は了承を取付けたのですが、佐藤氏がビザ取得のためにパスポートを提出するから行けないと伝えられ、やむなく旅慣れない二人(大城さんと太田)で、はじめての香港旅行とあいなりました。

11月15日(金)
 10:35成田発の航空機で15:00香港着。ホテルへの送迎サービスを利用して香港島東部の北角というところにある宿へ夕方到着、18:00ごろよりビクトリア・ピークにでかけました。27度という急勾配のピーク・トラムに乗って山頂へ。金曜日の夜ということもあり、たった7分ほどのトラムに乗るまで約2時間待ち。でも途中斜めに見えるビル群も含めてきれいな夜景を満喫できました。さすが百万ドルですね。函館の夜景もビックリの規模でした。(ホテルの窓から見える夜景も意外ときれいでした)

11月16日(土)
 午前中半日観光の周遊バスを利用しました。仕事や学業の神様のいる文武廟・ビクトリア・ピーク・アバディーンの観光船と周りました。途中ブーゲンビリアに似た花が咲いており、誰かが何の花かと質問していました。ヨウシ・ケイ(パウヒニアとも)といって、香港返還の花とされているそうで、紫色の可憐な花はあちこちで見かけられました。
 午後は九龍の下町めぐり、地下鉄で旺角という駅まで行き、女人街という露店めぐりをしました。迷うたびに大城さんが道を聞いてくれ、なんとかたどりつきました。(私の英語は全く通じず、中国語に到っては早口でチンプンカンプン、もっぱらボディー・ランゲージにたよりました。)その後、男人街(露店の
立ち並ぶ夜のまち)・上海街(中国の合羽橋と言われる調理器具などの道具屋のまち)に行きましたが、男人街は夜早すぎて、上海街は夕方遅すぎて何が何やらさっぱりでした。半日観光のあと、香港文化中心(コンサート・ホールや展示スペースなどがありました。)で香港交響楽団40周年記念コンサートのチケットをゲットしました。「ガーシュイン ヒムセルフプレイズ 藍色幻想曲」と題したもので、自動演奏のピアノを中心に配した「ラプソディ・イン・ブルー」、「ポーギーとベス」、コール・ポーターの「キス・ミー・ケイト」、コープランドの「ロデオ」などが演奏されました。自動演奏ピアノはいかにもガーシュイン自身の演奏を録音したものと感じられましたが、演奏者のいないピアノは情緒がないという大城さんの意見にもうなずけました。

11月17日(日)
 いよいよマカオ観光へ。トラムで上環まで行き、徒歩2分ほどのフェリー・ターミナルからターボ・ジェットで1時間ほどでつきました。乗船口で大城さんと話した中国人のおじさんはシンガポール在住で、「昔は香港も面白かったが・・・」と言っていたそうです。とにかく陽気なおじさんでした。華僑というのはどこの町にも順応できるたくましい人種なのでしょうか?
 この日は年に一度の「マカオ・グランプリ」でターミナル周辺は人であふれかえっていました。10時半ごろにはもう始まっていて、帰るために戻った午後4時半ごろにもまだ開催中でした。
 まず、外壁だけが残っている聖ポール天主堂跡。規模は壮大で、配置図や沿革も説明されましたが、壁だけでは物足りなかったかな?その後聖ドミニコ教会・セナド広場(議場跡)・蘆家屋敷跡を見て、ポルトガル料理店に行きたかったのですが結局たどりつけず、1時間以上さまよい歩き「ホテル・シントラ」というところでランチ終了時間寸前に何とか中華料理にありつけました。(食べたのはお粥や鶏飯でしたが)途中「ホテル・グランド・リスボア」というカジノ王の建てたけばけばしいホテルに入りましたが、1階にカジノがあり厳しい手荷物検査を受けながら吸い込まれていく人の列を見て、2階のレストランでは予約のない人お断りですごすごと立ち去るはめになりました。ポルトガル料理なんてとんでもない、予約はしっかりとりましょうということですね。

11月18日(月)
 最後の日は買い物三昧の予定でしたが、マカオでお土産を買ったし、女人街や香港各地にある「恵泉(ウェルカム)」というスーパー・マーケットでも目ぼしいものがなかったため、地下鉄の終点・柴湾(チェン・ワン)駅周辺を散策しました。羅屋民俗館(客家の一族の住宅跡で、昔の家具や什器などの民俗
資料が展示されており、最後まで職員が付き添って見ていました。)を見て、柴湾公園周辺を歩きました。北角から柴湾までは、高層住宅が立ち並ぶ住宅街で、2日目の半日観光で聞いた香港の住宅事情(香港人は結婚年齢が年々高くなり、高価な住宅を大変な思いで購入し、月5万円ほどで外国人メイドを朝から晩まで働かせ、メイドは週1日の公休日を仲間と公園などでおしゃべりを楽しむ―実際に土日にどこまで行っても2.3香港ドルのトラムに乗ると、東南アジア出身のメイドさんとおぼしき人たちに囲まれ女の園状態になっていました。)を思い出し、香港人たちはこんな住宅に住むことを人生の目的にしているのかなあと思いました。

 大城さんは中国で5・6回席を譲られたそうですが、杖を持った私はそれどころではなく、どこへ行っても香港人の親切さが身に染みました。道を聞いても親切に教えてくれるし、日本人バッシングなど感じられずに4日間を過ごすことができました。ガイドさんは歩き方でどこの国の人かわかると言っていましたが、さすが観光・産業立国香港ここにありといったところでしょうか?それにしても3本足の私もよく歩いた旅でした。こんなに歩いたのは何年ぶりかなあ。足が丈夫なら島の周辺にある山へのハイキング、時間があれば香港島南部のリゾート(スタンレーやレパルス・ベイなど)や水上生活者の生活もかいま見れればもっと楽しめたかもしれません。もう一度行けたら、今度は広州一泊旅行なども計画し、ついでに上海・杭州・蘇州観光もできたらいいなと思っています。どたばたと過ぎた4日間でしたが、香港ってこんなとこと感じていただければ幸いです。
 

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合奏作曲コンクール顛末記

染谷 正雄


 応募を知ったのは去年(2012年)8月頃だったか、日本ギター合奏連盟からのお知らせであったと思う。受付は10月~2013年6月末締め切り。募集のコンセプトが「アマチュアの合奏団でも弾き易く楽しめる曲」だったので、これなら勝負できるかな、と気が向く。普通の和声の曲はまだ自信が無いので、日本の和声のあの「秋の祭り」か「砂山幻想曲」にしよう。うーむ5分以上か?「秋の祭り」の方が纏まっているが、確か3分位だったなぁ。もう一度坊田かずまさんの教科書を勉強し直して、何とか時間を伸ばして「秋の祭り」にしようと決意。坊田かずま氏の本を復習した。今まで曲に付けていた和声はだいぶ違っていた…。2013年5月。和声は付け直し、間に新しい旋律を作り出して纏め終わった。Finaleで楽譜作成。MIDIも入力。6/21応募曲を送る。9月頃審査かなぁ。と忘れることにした。
 ところが7/22に、突然合奏連盟からメールがあった。何かなぁと開くと、「おめでとうございます!この度ご応募されました 秋の祭り が予選を通過しました。」の文字が…。それでも、予選通過か、5~6人くらいは選ばれたのかなぁ、と合奏連盟のHPで確かめたら、なんと3人だった。おう、これで3位は確定か。何というか、嬉しさがじわりと。他の2人をググルと予想通りプロの方だった。おまけに一人はアメリカの大学の音楽の女先生。なかなか美人。もう一人はどうやら新堀育ちの作曲家。この時点で1位はアメリカ女性(オルガ=アメルキーナ・ベラさん)、2位は新堀育ち(畑中雄大さん)と予想を付けた。3位で十分だとは思っているが、万に一つ2位にでも…。それにしても作品は出品済みで、これから「頑張ろう」にも「頑張れ」ないので、「俎鯉状態」が3ヶ月も続くのであった。

 10月27日。やっと当日が来た。9時に練馬文化会館に集合とのこと。行くと、まだ受付の机を用意している最中だったりする。一応名前と着いたことを近くの方に伝える。しばらくして、舞台まで案内される。畑中雄大さんとも一緒になったので挨拶、若い27才。リハーサルとして9:20~50が私の持ち時間。私だけ残って畑中さんは外で待機。演奏して下さるクアトロ・パロスの4人と挨拶。早速聞かせていただく。各人とても綺麗な音色で、表現豊かに演奏して下さった。私の作品ってこんなに綺麗だったのか!と言うのが第一印象。正直にそう言ったら4人さん嬉しそうだった。それから、低音の処理とか、アクセントの付けたいところ、バランスが気になるところ、などを指示させていただく。あっという間に30分の受け持ち時間は過ぎてしまった。本番はよろしく、とクアトロ・パロスの面々に挨拶をして畑中さんと交代。ホワイエに行くとオルガさんが親指を出して「Good!」の仕草。モニターTVで聞いていたらしい。畑中さん、オルガさんのリハーサルも終わって、3人が舞台に集合。演奏順を決めるとのこと。福ちゃんこと伊東福雄さんがトランプを3枚並べて、それぞれが選択する。畑中さん1番手、オルガさんが2番、私は最後になった。
 さてと、本番は2時10分頃。それまでは暇である。建物内をうろちょろする。
11時20分開演となる。いろいろな形体、人数、曲、上手い団体から、ううむ?まで何組も登場。
12時になったので、昼食をと外に出る。成田の合奏団から5人ほど来てくれて、一緒に駅の方に向かう。どこも込んでいて、結局駅前のモスバーガーでハンバーガーを買って、文化会館のロビーで頂いた。
午後また合奏を聴く。
 2時、家族も来てくれる。さあて本番だぞ。
 前の方の席に3人座る。1曲目は畑中さんの「ジャズ舞曲第7番水の踊り」。早いパッセージが続き、各パートで丁々発止のやり取りが続く。目まぐるしいが、それだけの効果のある纏まった曲だ。さすがだ。2曲目はオルガさんの「Cattywampus Rompus(Texas Tarantella)」。これも素早いパッセージが行き交う曲だが、ユーモアまでも感じさせる素晴らしい曲。3曲目は私の「秋の祭り」。最初から前2曲とは趣が違う。難しいところも無く、演奏はとても素敵だった。畑中さんは「ジャズとタランテラのアメリカ、日本の曲と、どう評価するのでしょうね?」とおっしゃっていた。まったくその通り。曲の出来は私が前に感じていたとおり、オルガさん、畑中さん、私だろう。私の曲の出来は2曲に水をあけられた感じだ。
 休み時間に知り合いと挨拶。意外な方ともお会いしたりして。
第4部は席を家族の近くに移動し、最後まで合奏を楽しむ筈…が、楽しめる気持ちじゃあないね。ふわふわした気持ちがづっと続く。
第4部終了そして、結果発表。3人が袖に集まり、いざ舞台へ。気持ちは高揚したり、へこんだり、とにかく落ち着かない。まあ、結果は予想通りであったが、委員長の二橋さんの発表の言葉は「「アマチュアの合奏団でも弾き易く楽しめる曲」というものの、曲の完成度を中心に考えて決定した。」。そして2人の作品の講評を述べただけだった。私の作品は講評するまでもない…のかなぁなどと落ち込んでしまった。順位とは別のHarumi賞は1位のオルガさん作品。最後が聴衆が決める「聴衆賞」。これを私が頂いた。とても嬉しかった!!
あとはセレモニーで、よく憶えていない。
 打ち上げは近くの飲み屋さんで開かれた。知り合いがいないし、家族は別の場所で待っているというので、1時間くらいで切り上げようと思う。
 しかし、いつもは現代ギター誌上でしかお目に掛かったことがないギター界の方々ばかりで、とにかく気後れする。目の前の席はあの藤井眞吾先生、その脇は現代ギター誌の中里編集長さん。佐藤弘和さん、篠原正志さん、大橋正子さん…。受賞の言葉を発表する(させられる)が、気持ちがうわずっている。日本和声の坊田かずまさんの事などをしゃべった気がする。6時過ぎ、そうそうに退散。その間際に加藤繁雄先生の言葉「聴衆賞を受け取られるときが、嬉しそうでしたね。」でほっと出来た。

 家族と合流して、帰途につく。


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前列、左から4人目が本人です。

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ゆるやかな風  第13回 主夫生活

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洋楽事始 番外編

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Q.チャンポンは悪酔いするってホント?ウソ?

7代 新保

今更ですが、アルコール分解のプロセス

  1. 口から入ったアルコールは胃から約20%、小腸から約80%が吸収されます。そして血液に入り、全身にいきわたります。
  2. 体内に入ったアルコールの大部分が肝臓で代謝されます。肝臓ではアルコールはアセトアルデヒドを経てアセテート(酢酸)に分解されます。
  3. アセテート(酢酸)は血液によって全身をめぐり、筋肉や脂肪組織などで水と二酸化炭素に分解されて体外に排出されます。
  4. 摂取されたアルコールの2~10%が、そのままのかたちで呼気、尿、汗として排泄されます。


今更ですが、悪酔いの仕業は、アセトアルデヒド
 アルコール分解の過程でつくられる毒性の強い物質。分解能力を超えて飲酒すると、顔面の紅潮、頭痛、吐き気、動悸、頻尿など、不快な悪酔いや二日酔いを引き起こします。

今更ですが、悪酔いしないためにお酒の適量を守りましょう!
 アルコールを分解する能力は人によって違いますが、通常のアルコール代謝能力を持った日本人の適量は、1日平均純アルコール度で約20g程度とされています。しかし、日本人の45%はアルコールに弱い体質と言われていますので、これからの忘年会、新年会での飲み過ぎには、くれぐれもご注意ください!

お酒の種類別 1日の適正飲酒量の目安
ワイン(12度)
グラス2杯弱(200mℓ)
純アルコール量20g
日本酒
1合(180mℓ)
純アルコール量22g
ビール(5度)
中1本(500mℓ)
純アルコール量20g
焼酎(35度)
ぐい飲み2杯弱80mℓ)
純アルコール量22g
ウイスキー(43度)
シングル2杯(60mℓ)
純アルコール量20g


A.正解は「うそ」でした。

上記のように、悪酔いはお酒の種類を混ぜる事によってではなく、あくまでアルコールの摂取量によって起きるということです。いろんなお酒を飲んでいると、飲み過ぎているのに気づかなかったり、アルコール度数の異なるお酒を混ぜて飲むことで、摂取アルコール量が分からなくなり、その結果飲み過ぎて「悪酔い」になったことを、「チャンポンのせい」と思ってしまう訳です。

アルコール量の計算式 お酒の量[mℓ]×(アルコール度数[%]÷100)×0.8
例)ビール中びん1本 500×(5÷100)×0.8=20

どうせ飲むなら、お酒を百薬の長に!
 適量のお酒は、血流を良くし、食欲増進、ストレス解消、動脈硬化予防に役立つHDL(善玉)コレステロールを増やす等の効果があります。上手な飲み方で健康を維持したいものです。

ちょこっと最近の我が家のアルコール事情
 どうしても夕食後ギターを弾きたい人間と、それほど飲まなくても、昔と比べ雲泥の差で次の日に残ってしまう人間。でもやっぱり少し飲みたいお酒大好き人間が、行き着いた究極邪道の飲み方。

ノンアルコールビール1缶を100mℓ位入るグラスに3/4位入れ、ポリフェノール2倍のワインをグラス上まで追加する。そこへ、干しサクランボ(葡萄の勝沼に行ったとき購入)を、焼酎漬けにして戻したものを入れ、サングリアのようにして、グラスに4杯~4杯半ゴクリゴクリ…美味しい~(*^^*)
つまり350mℓのノンアルコールビールで、100mℓのワインを割って飲んでいることになります。ワイン通からしてみたら考えられないでしょうし、そこまでして飲まなくても…との声も聞こえてきますが、焼酎漬けのチェリーとの相性も良く、これはこれで中々いけますよ(*^^)v
この場合のワイン100mℓのアルコール量を計算すると、
  100mℓ×(11.5÷100)×0.8=9.2gとなります。(焼酎は微々なので無視)

これからもアルコールと上手く付き合えるように
お酒大好きなのに、私のように翌日まで残るようになってきた方はいませんか?お酒分解に有効な食品(トマトジュース以外にも)を一緒に取ることも大切ですね。その上でアルコール量に気を付けたり、さらなるお酒の邪道も開拓しながら、末永く楽しくアルコールと付き合って行けたらと思うこの頃です。

おまけ。酔いがさめるまでの時間
体重約60kgの人がアルコール量20gのお酒を30分以内に飲んだ場合、アルコールは約3~4時間体内にとどまります。アルコール量2倍の場合ではアルコールが体内から消失するまで約6~7時間かかります。これには個人差があるため、体質的にお酒に弱い人や女性はもっと長い時間がかかります。また、深夜まで飲んでいると翌朝起床後まで体内にアルコールが残っているため、二日酔いとなってしまうとの事です。

参考「お酒と健康ライフ」(公益社団法人アルコール医学研究協会)

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第27回 番外編:ワーグナーゆかりの地の旅バイロイト Bayreuth

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洋楽事始 第10回 「日本初のプロピアニスト 久野 久」

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ちょこっと報告「花嫁人形合唱コンクール」

ギター仙人

ずっと前に、童謡『花嫁人形』について紹介しました。

“きんらんどんすの 帯しめながら・・・”で始まる、この歌を知らない人はあまりいないと思いますが、これが新潟県新発田市出身の画家、蕗谷虹児(ふきやこうじ)の作詞によるものだということはあまり知られていないようです。
 この歌や作詞者のことについては、以前に書いたので重複は避けます。歴史好きの私は以前から新発田市に興味があり、今年はゆうかり女声合唱団が「花嫁人形合唱コンクール」に参加するということで、応援がてら土・日を利用して新発田市を散策してきました。

 新発田は新発田藩六万石の城下町でした。戦国時代には新発田重家という武将がいて、上杉謙信の旗下として活躍しました。新発田城の反対側の丘陵地にかかるところに五十公野城(いじみのじょう)という分家の城もあり、戦国時代には、このあたり一帯は新発田氏の勢力下にありましたが、謙信が亡くなった後に上杉家から独立しようとしましたが、うまくいかず滅亡してしまいました。
 新発田重家の後に入ってきたのが、豊臣秀吉から「秀」の字をもらった溝口秀勝です。溝口家は、江戸時代になってからも領地を安堵され、新発田溝口家は豊臣・徳川の300年間変わることなく新発田藩主でした。この時代に、改易や国替えが多かった外様大名の中では極めて珍しい存在です。
 新発田市出身の歴史的有名人は3人います。古い順からだと、赤穂浪士四十七士の一人の堀部安兵衛、明治・大正時代の実業家の大倉喜八郎、そして挿絵画家で『花嫁人形』を作詞した蕗谷虹児です。
 堀部安兵衛(元は中山安兵衛)は、父親がお城の物見櫓から出火した責任をとって浪人になり、中山家が取りつぶされると出奔してしまいます。まだ16歳でした。江戸や京都を流れ歩き、今で言う不良少年のようになっていたときに、菅野六郎左右衛門に救われます。親代わりになってくれた菅野六郎左右衛門が決闘するはめになると、安兵衛はそれを助太刀し、そのときの働きが「高田の馬場の決闘」として有名になりました。すると、赤穂藩江戸留守居役の堀部弥兵衛から養子になってほしいと粘り強く請われ、堀部安兵衛となりました。その後、松の廊下の刃傷騒ぎから、赤穂浪士の吉良邸討ち入りとなり、本懐を遂げて切腹しました。

 大倉喜八郎は、戊辰戦争、西南戦争、日清戦争、日露戦争など戦争のたびに武器商売で儲け一代で財閥を築きました。帝国ホテルを建設したほかサッポロビールや大成建設など、多くの会社を設立、また東京経済大学も開校させています。東京虎ノ門にある大倉集古館は、喜八郎が集めた美術品を収蔵展示した日本で最初の美術館です。なお、ホテルオークラは息子喜七郎の設立です。喜七郎の趣味の一つに音楽があり、西洋音階が吹ける金属製の尺八“オークラウロ”という楽器を考案しています。

 大宮から新幹線で新潟までは約1時間半。その後白新線というのに乗って約40分。乗り換え時間も含めると、浦和からほぼ3時間で新発田に着いてしまいます。案外近いんだと思いました。着いたのが土曜日の昼過ぎで、「まずどこかで昼飯を食べるか」と駅まえから伸びるアーケードつきの商店街を歩き始めました。道の両側には『花嫁人形合唱コンクール』と書いた黄色い幟が10メートルおきぐらいに立っています。
 この商店街が途切れるまで歩くと、30分にもなるほどえんえんと続いているのですが、開いているお店は半分もありません。いわゆるシャッター通りになっています。締められたシャッターの前の黄色い幟が風にゆれていて、なんだか地方都市の悲哀を感じます。歩けど歩けど食事ができるところはありません。コーヒー屋さんが一軒あるだけです。
 途中に「町の駅」という場所があり、「何だろう?」と入ってみました。すると、そこにはお年寄りがお茶をのみながらおしゃべりしています。孤独な年寄りを減らしながら観光に役立てようという試みかと思いました。
 さらに歩くと市役所や警察署、市民会館などがある中心部になったのですが、ここにもお店はありません。「うーん。新発田の人は外食をしないのだろうか?」と考えましたが、駅前まではさすがにもどる気になりませんので、さっきあったコーヒー店に入ってみました。すると一応スパゲッティがあって何とか食事にありつけました。

 食後のコーヒーを飲んで、ではまず蕗谷虹児記念館に行くことにしましょう。市役所の先、市民会館の隣が蕗谷虹児記念館です。東京・根津の弥生美術館で蕗屋虹児の作品を少し見ることができるのですが、ここでは、原画も見ることができます。
 この人の作品からは、竹久夢二と同様に大正ロマンを感じるのですが、虹児の描く女性や少女は、独特の美しさがあり他の人には真似のできない魅力を持っています。最も有名な切手のデザインにもなった「花嫁」の原画は、よくみると右目の下に涙のしずくが描かれています。
 ここで原画や復刻版の絵本などを見ながら小1時間ほど過ごして、次はお城に行くことにしました。蕗谷虹児記念館から新発田城までは、10分くらいでしょうか。行ってみると、ここは城跡です。建物は復元した櫓などがありますが、城跡の敷地の大部分は自衛隊の駐屯地として使われているのでした。一般人が入れるところはほんの少ししかありません。
 ちょっとがっかりですが、気を取り直して次に行きましょう。安兵衛は少年のときに出奔してしまったので、その事蹟はほとんど残っていません。生誕地の碑と手植えの松(本当か?)が長徳寺というお寺の中にあるらしいのですが、それ以外にはなさそうです。まあ、とにかく町の中を歩いてみましょう。

 「寺町通り」というのがあり、それぞれ由緒あるお寺が並んでいます。その中には、藩主溝口家の菩提寺である「宝光寺」や戦国時代の新発田重家をお祀りしている「福勝寺」もありました。宝光寺の山門はなかなか立派です。広い境内をもった諏訪神社は、新発田の総鎮守です。長野県の諏訪大社を分祀したもので、特有の御柱が立っています。
 神社から道路一つ隔てたところには、造り酒屋「市島酒造」があります。ここは、江戸時代の1790年頃から続いている酒屋で、無料で見学・試飲ができます。 酒好きの人はたまらないでしょうね。
歴史ある城下町らしい藩御用達の和菓子や伝統的な麩、おからを酢飯の代わりにした「から寿司」など、新発田特有の食品もあるようですが、これらと地酒はかみさんがきっと買ってくるでしょう。
 もう一つの見所として「清水園」という回遊式庭園があります。清水園は、溝口家の下屋敷の庭だったそうですが、現在では庭園だけを維持・管理しています。行ったのは翌日の日曜日だったのですが、朝から雨降りでした。雨に濡れた苔が一面にあってそれが美しく、雨の日もかえって趣があるかもしれません。市民ボランティアの人が案内・解説をしてくれます。

 さて、日曜日の午後からは「花嫁人形合唱コンクール」を鑑賞しました。市民会館ホールの客席は800席ぐらいでしょうか。始めは5割ぐらいの入りでした。もっとも、出番が終わった団体さんが客席に来るので、だんだん増えていきます。今年の参加は、地元新潟県から6団体、福島県から4団体、茨城県・東京都から各2団体、そのほか山形県・千葉県・埼玉県・神奈川県・富山県・愛知県からの出場で、合計20団体でした。
 団体の種類は、中学生からおばさん・おじさんのコーラスまで年齢も幅広く、人数も6名から22名までといろいろです。男声合唱1,混声合唱6,女声合唱が13団体でした。
 童謡『花嫁人形』は5番の歌詞までありますが、作曲家・池辺真一郎が合唱用に編曲しており、この課題曲を歌うのが参加条件で、そのほかに自由曲を1曲歌います。課題曲は、4回も転調があるのに無伴奏なのでかなり難しくなっています。1・2番はロ短調、3番はへ短調、4番は変ロ短調、5番にロ短調に戻ります。特に4番から5番へ転調していくところは、伴奏がないとかなり音がとりづらいだろうなと思いました。
 同じ編曲の同じ歌を18回聴いたのですが(最初の2団体は聴けませんでした)、歌い手によってずいぶん表現の違いがあるものだと、おもしろく聴くことができました。若い人たちは比較的早いテンポでたんたんと歌い、正確な音程でハモるときの美しさを求めているようです。年配の方たちは、抑揚や強弱を大事にして情感が出るようにしているようです。声量は、個人によって差があるもので、全体の中で目立つ個人がいるのがよいかどうか難しいところです。
 何と言っても一番肝心なのは、正確な音程です。無伴奏なので、少しでも音程がずれていると目立ちます。転調した後の最初の音を正確に出すのはかなり難しいようで、これができているのは半分ぐらいだったでしょうか。4回も転調するおもしろさをごく自然に歌えるのはかなり実力があるのですが、これは私が聴いたかぎりではほんの数団体でした。ゆうかり女声合唱団は、大人の情感がこもっていてよく歌えていたので5位以内に入るかも・・・と思いました。
 客席の真ん中に審査員席があって、池辺真一郎氏と合唱のプロの先生が2人、計3人で審査をしていました。何しろ、1等30万円、2等15万円、3等5万円、4等こしひかり1俵だというのですから大した大盤振る舞いです。コンクールは正午から始まって終了したのは4時40分でした。終了後は審査の集計が行われ、その後で結果発表となるのですが、私は電車の時間もあるので帰ることにしました。

 新幹線の中でかみさんからのメールを受け取りました。「どこにも入賞しなかったのでこれからやけ酒だ」とのこと。「こしひかり1俵」を期待したのですが・・・うーん、残念!
 「花嫁人形合唱コンクール」は大変な力の入れようで、市の職員でしょうか、大勢のスタッフがかり出されて働いていました。出場団体への対応は至れり尽くせりで、駅からホールまでマイクロバスの送り迎えがついています。結果発表の後は、レセプションが用意されていて審査員の先生方や団体同士の交流があります。賞をもらえなかったゆうかりのみなさんは、ここではやけ酒だった(?)ようですが、その場でさらに賞品が当たる抽選イベントが行われ、メンバーの一人が温泉1泊旅行券をゲットしたそうです。それで少し溜飲が下がった?・・・
 会場では、地元の特産物や名産品の販売もしていて、スタッフの人たちはこのイベントを盛り上げようと一生懸命です。でも、町の中でコーヒー屋さんのお姉さんや、泊まったホテルのお兄さんに聞くと、さすがに「花嫁人形合唱コンクール」が行われることは知っていました。が、それがいつなのかはあまり関心がないようです。日曜日にはマラソン大会も行われていて、コンクールの始まる時刻はちょうど市役所前の通りをランナーが通過するときで、雨の中傘をさして応援している市民が何人もいました。やっぱり音楽や合唱よりもマラソンの方が身近なんでしょうね。
 以上、新発田市の散策と「花嫁人形合唱コンクール」の報告でした。

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