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ギター仙人
<池上本門寺>
洋楽のことを調べていて幸田延という人のことを知り、今年の初めの頃から彼女のことがわかる資料を漁っていました。ホームページに出したのは7月でしたが、その後も、「追記」まで書き、さらに瀧廉太郎を調べる過程でもこの人の存在がいつもありました。こうして延さんがいつも頭にあり、ずいぶん彼女が身近になり思い入れが強くなりました。
そこで、これはやっぱり延さんの墓参りをしなければならないと考え、ようやく秋の気配を感じるようになった先日行ってきました。延さんの墓は大田区の池上本門寺にあります。東急池上線の「池上駅」から5分ぐらいです。駅からちょっと歩けばもう参道で、門前には老舗のお菓子屋さんがあります。
本門寺は言わずと知れた日蓮さんの入寂の地に建てられた寺で、日蓮宗の大本山のうちの一つとなっています。本阿弥光悦の筆による扁額が掲げられた総門を入ると、その先には加藤清正が寄進した96段の石段があります。96段というのは法華教のどこだかの文字数が96字あるからだとか。
石段の上は広大な寺域です。仁王門をくぐるとその先には祖師堂、本殿など大建築物があって、左手には鐘楼、右手には五重塔が見えます。さらに左奥には重要文化財になっている赤い「宝塔」があります。
この日は行きませんでしたが、本殿の裏には「松濤園」という小堀遠州の作庭があります。この一角で勝海舟と西郷隆盛は、江戸城を無血開城に導くための歴史的会談を行っています。勝・西郷の正式の会談は薩摩藩三田藩邸で行われたのですが、実はその前に、勝さんは官軍本営になっていた本門寺に西郷さんを訪ね、予備会談を行っていたのです。このあたりの勝さんは、実に用意周到に行動しています。
左手の五重塔の方に進むと、墓域がずうっと奥深くまで広がっています。本門寺には歴史的な著名人の墓や、寄進した塔などがいくつもあります。例えば、前田利家の妻や加藤清正の妻が寄進した供養塔。また、紀州徳川家の墓所には、代々の藩主の娘や側室の宝塔や宝篋印塔(ほうぎょういんとう)があります。
そのほかには、絵師の狩野家の墓所もあり、幕末の熊本藩士で「人斬り」の異名をとった河上彦斎もここに眠っています。五重塔も重要文化財ですが、その前を進んで奥まったところには、力道山の墓があって、ここには、プロレス関係者がよくお参りに来るそうです。
さて、
「延さんの墓はどこにあるのだろう」
と墓域を探し歩きました。
「露伴の墓などと一緒に幸田家の墓所があるはずなのだが・・・。延さんの墓の脇には右ページに『天』の楽譜、左ページに明治天皇御製の『あさみどり』の歌詞を刻んだ本型をしたリレーフがあるはずなのだが・・・」
と、広い墓域をあちこちめぐり歩きました。かなり歩き回ってから五重塔のところに戻ると、何のことはない、幸田家の墓は五重塔のすぐ裏手にあったのでした。
墓地は少し広めですが、一般の人とほとんど変わらないシンプルな墓石がいくつもあります。少し立派なのは露伴、一番新しいのが平成2年に亡くなった幸田文さんのもので、あとはごく普通の目立たないものです。その一番はずれの右端に延さんが眠っていました。脇の壁には延さんの業績を記したプレートが取り付けてあり、手前には楽譜と詞を書いた本型のリレーフがあります。しかし、プレートもリレーフの楽譜も文字も半分消えかかっていて、よく読めない状態です。
延さんは生涯独身だったので、誰がこの墓を守っているのだろうかと心配になりました。業績のプレートと本型のリレーフは、延の弟子たちが寄贈したように記憶しています。しかし、延さんが亡くなったのは1946年ですから、もう67年たちます。弟子の方々も物故している方が多いだろうし、ご存命の方でもかなり高齢になっているのだろう。
そんなことを考えながら、地下の延さんに手を合わせて冥福を祈り、本門寺を後にしました。広い境内と墓地をあちこち歩き回ってかなり疲れました。それに、お腹がすいたし何か食べることにしましょう。
本門寺を出たところにお蕎麦やさんがありますが、なぜか今日はラーメンを食べたかったのでした。そこで池上駅の方にもどると、駅の手前の道に面してなんと2軒のラーメンやさんが並んでいるではありませんか。
「うーん、すごいライバル関係。さて、どっちに入ろうかな」
と一瞬迷いましたが、こういうところであまり考えない私は、ためらわず左側の新しい店の方に入りました。
「いらっしゃいませー」
と迎えてくれたのは、夫婦者らしい二人。ちょうどお昼時なのに、何とお客は一人もいません。「あれ?隣の方が正解だったかな」と思ったのですが、以前の横浜中華街のこともあるので、まあいいかとラーメンを注文して待っていると!?・・・(以下省略)。
<洗足池>
とにかくお腹が満ちて、休憩もしたので、次の目的地「洗足池」に向かいます。実は、洗足池には勝海舟のお墓があるのです。勝さんは第5回「お雇い外国人」で登場したクララの義父にあたります。クララたちは勝さんに大変世話になっているので、ちょうど近くなのでこちらもお参りしてきましょう。
池上駅から乗ると洗足池駅は6つ目で15分くらいです。途中に御嶽山という駅があるので、どうしてこの名前なんだろうと思いました。後で調べると、駅のすぐ近くに御嶽神社があるようです。
その次が雪谷大塚駅。ここにうちの次男が一人で住んでいます。そして、洗足池駅に着きました。駅を出て中原街道を歩道橋で渡ればすぐ洗足池です。このあたりは、周辺よりぐっと土地が低くなっています。この池は近くに何カ所かの湧水が今でもあるということです。池の周囲はよく整備された公園になっていて、ボートを漕いでいる人もいます。
さて、中原街道から大森第六中学校の脇の路地を入ると、すぐに図書館があります。図書館の裏側はお寺のような場所になっていて、日蓮さんの「袈裟掛けの松」があります。もともとこの地は「千束」だったのに日蓮さんが足を洗ったので「洗足」になったという言い伝えがあり、本門寺といい、このあたりは日蓮さんと関係が深いようです。
大森六中の体育館脇を抜けると、洗足池公園に出ます。ここは都会のオアシスで、今でも風光明媚です。桜の季節には花見の人でいっぱいになるといいます。
その東側に勝海舟夫妻は眠っていました。海舟夫妻の墓の隣には、「南洲留魂祠」(南洲は西郷さんの号)が建っています。これも勝さんが建てたもので、もとは南葛飾郡にあったものを勝さんが亡くなった後、移築したものだそうです。
勝さんの屋敷は赤坂氷川町にありましたが、晩年はこの洗足池の風趣が気に入っていて「洗足軒」という別邸を建てここで暮らしました。その跡地が現在は大森六中になっているようで、図書館の反対側に「海舟先生別邸跡」と書かれた杭がありました。
本門寺が官軍の本営になっていたとき、勝さんは西郷隆盛に会いに行って、その時には洗足池を通ったと思われます。勝さんは、会談の結果や西郷さんの人柄とともに、このあたりの風景が印象に残ったのではないでしょうか。
西郷さんは、維新の功績がいくら大きくても、西南戦争で政府に刃向かい討伐された人なので「国賊」になってしまいました。その名誉を回復するために最初に運動をしたのは、薩摩藩の人間ではなく、勝さんだったのです。それが「南洲留魂祠」で、傍らには西郷さんの以下の漢詩があります。
勝海舟という人は、典型的な江戸っ子で露悪的なもの言いをする人でしたので、福沢諭吉などからはかなり誤解されていたようです。もっとも、勝さんも西郷・大久保・木戸など大物がみな死んでしまった後の、伊藤博文も山県有朋も使いっ走りの小物だと思っていましたし、福沢などは口ばかり達者な才人ぐらいにしか思っていなかったようですが・・・。
勝さんは幕府の代表、西郷さんは官軍の代表で立場が異なっていたにもかかわらず、人物の大きさという点で肝胆相照らし、二人だけに通じるものがあったのではないでしょうか。
さて、これで本日の予定は一応終了。秋めいてきたとはいえさすがに暑く、たくさん歩いてくたびれました。どこかでアイスコーヒーでも飲んで、ちょっと休憩して、それから帰るとしよう。洗足池駅の近くにはお店が見当たらないので、とにかく電車に乗ろう。
このまま五反田へ出て埼京線に乗るか、大岡山に回って南北線に乗るかと考えましたが、やっぱり京浜線一本で帰るのが楽だと、大井町へ出ることにしました。旗の台駅で乗り換えて大井町駅に着いたのは午後2時を過ぎていました。外に出るとすぐの角にコーヒー屋さんがあったので入りました。なんと店内は大変混んでいて2階の喫煙席が一つ空いているだけでした。ちなみに、私は約5年前から喫煙していないのですが、今でもタバコの煙が気になることはないし、吸いたいとも思いません。
さて、2階の奥まった席に腰を下ろし、アイスコーヒーを頼んでやっと一息つきました。傍らを見ると、すぐとなりの席にはうら若き女性が3人いて、タバコをふかし、ビールを飲みながら、傍若無人に大きな声でおしゃべりをしています。
「100年前と違って、女性は実に自由になったものだ」
と内心思い、
「勝さんや延さんがこの人たちを見たらどう思うのだろう」
とも考えましたが、素知らぬ顔でとにかく一休み。以上おしまい。
ドーナツに悔いが残る7代 新保
登ってみたい!でも登れそうにない!
年をとって体力も衰え、どんどん富士山から遠ざかっていくと思っていた矢先、世界遺産登録の流れなのか娘が急に誘ってきたので、思い切って「女性限定バスツアー」とやらで行ってみることにしました。
富士スバルライン五合目には10時半ごろ到着。平日なのに登山者でいっぱいです。今の人は新宿のバス待合所で借りる登山用品を受け取り、この五合目の指定店で着替えをし、いらない物はロッカーに置いていくんですー。初めて知りました。私達は、行きも帰りも同じ荷物で山靴なのに。
いよいよ出発(2300m~)
ガイドさんの説明や、ストレッチ体操をし、ほぼ正午に本八合目の小屋を目指して出発。山のプロプロ田部井淳子さんは、筋肉の疲労回復のためにアミノ酸を飲むとの事なので、私達もしっかり飲んでおきました。
六合目到着(2400m)
出発から40分間で到着。五合目との高度差が100mしかないので楽でしたが、
ここからはジグザグの本格的な登り道になります。しかも下は火山岩の細かい瓦礫がジャリジャリで歩きにくいです。
「吸おうと思うのではなく、フーと息を全部吐いて下さい。空気が自然に入ってきますから。」「少しずつでいいから止まらないように歩いて下さいね。」
ガイドさんの言う通り息を吐ききってから吸うと、成程!呼吸が安定します。今までハァハァフーフー息を切らして登っていたのを思い出し、早く知っていればもっと楽に登れたのに…などと思いながら、呼吸も乱れず体も疲れずなかなか快調に七合目まで着きました。しかし、中には足元が安定せずふらついて歩く体調の悪い人も出ていました。
七合目到着(2700m)
記録をしていないので朧げな記憶だけなのですが、七合目手前位から岩場になってきたように思います。2本使っていたトレッキングポール(ストック)を1本にし、片手で岩に掴まりながら八合目までの長い長い岩場の連続を、時として強風に飛ばされそうになりるのを耐え、這うようにして登って行きます。個人で来ている人や外国人も多く、お互いに道を譲りながらそれぞれに登っていました。
最後の急階段を登りやっと聖徳太子が登った謂れによる「太子小屋」のある
八合目到着(3100m)
この時点で4人は離脱したようです。この3100mまで私は不思議と元気でした。ここからはまた溶岩瓦礫のジグザグ坂道です。上を見ると何層にもなった道が、幾つとなく重なって、止めどなく上へ上へ続いているのが見えます。
八合目の休憩では気が緩んだのか、今までになく調子にのって沢山食べてしまいました。特にドーナツの油が良くなかったのか、時々胃が気持ち悪くなり出しました。アミノ酸の補給をするべきだったのか、太ももの真ん中がギュッと締め付けられる痙攣が左足に。そして右足にも起きてきました。歩けるか?こんな経験初めて!足がツッテもマラソン選手が走っていたのを思い出し踏み出すと痛みはあっても動けて、そのうち痙攣はよくなりました。ふ~。
しかし、体はだんだん重くなり坂を登る一歩を出す事の辛さ、遅れ遅れになってやっと最後の休憩にたどり着きました。あーここが一番苦しかった!!
さぁ、あと一息!と言っても40分はかかるでしょう。ガイドさんのすぐ後ろにつき、その一歩一歩に足を重ねながら行くと、先頭はこんなにゆっくりだったんだ!と驚かされます。後ろになればなる程このペースが乱れ、速くなったり止まったりするので疲れてしまうのだ!等々思いながらツイニ小屋到着\(^o^)/
本八合目午後6時半「トモエ館」到着(3400m)
兎に角、休めます。休憩を入れ6時間半!良くもちました。
娘もやはり気持ち悪さと頭痛の高山病になったみたいで、夕食のハンバーグカレーなんてとんでもない。二人とも殆ど食べられません。
外は既に真冬の寒さにプラスし強風が吹き荒れています。外にあるトイレに行くだけでもかなりの覚悟が必要。寒さに備えヒートテックやタイツ、ダウンと更にゴアテックスを着込み、強風に吹き飛ばされないよう足元に注意を払い、細い道を行って帰って来なければなりません。
高山病は寝ているうちに進む・消化するにも酸素!
宿の人は、「寝れば大抵治るから。」と言ったのに、気持ち悪さは治まらず、私にも頭痛が始まり、症状はかえってひどくなってきました。
娘曰く「酸素の薄い所で寝ているんだから、高山病は進むよ。」「消化するにも酸素が必要なんだよ。」という事は、やっぱり3100mでの私が出したドーナツが余計!二人とも食べなければ、気持ち悪くならなかったかも。私の責任大!?
夜中の2時半山頂へ…は断念!
夜になる程に風が強まり、山小屋はガタガタ物凄い音を立てています。夜の気温は2度。それに強風により体感気温はナント―8度とか!
「無理だね!あきらめよう。」私達ほか10名はそのまま小屋で休憩。
多少頭が痛くても2/3の人は、夜中の2時半山頂めざし出掛けて行きました。他のツアーは、強風で引き返してきたのに、私達のツアーは登頂したとの事。これって「初心者ツアー」ではなく中級クラスじゃないんでしょうか?しかしせっかく山頂まで行ったのに、御来光は見えなかったとの事です。気の毒。
3時間で五合目まで下山
一睡もできず夕食も朝食も食べられず、水だけで下山できるか心配していたら、「それまで食べていたんだから大丈夫だよ!」と娘が言う通り大丈夫なものです。溶岩ジャリ道を、砂嵐とジャリ嵐を顔や体に受け、吹き飛ばされそうになりながら、ひたすら下山。上の方で強かった風も、下って来るとおさまって、下界の河口湖、山中湖、裾野の樹海等々眼下一面に広がる景色に心癒されながら更に下山。あんなに苦労して登ったのに、3時間で昨日の出発地五合目に午前10時半到着。高山病は「下りれば治る」と言う通り、いつの間にか治っていました。河口湖畔の温泉で疲れを流し、7時無事帰宅(*^^)v
今回の経験から
・登頂は昼間に…わざわざ真っ暗な夜、御来光目当てに、気温と強風に耐え
登っても見えない時がある。御来光は七・八合目でも見えるので
暖かい日中(それでも20度は低い)に登り、お鉢巡りをした方がいい。
ヘッドライトも必要ないし。田部井さんの言う通り。
・アミノ酸…体の動きが楽になり有効 ・塩+水…筋肉痙攣の即効薬。
・行動食…糖分に偏ったので、塩分系を増やす。スポーツドリンクは甘い。
真水が美味しい。少しずつ食べる。消化の良い物。油系は避ける。
・ゴーグル…砂嵐、ジャリ嵐が目に入るのであると便利。
・トイレ事情…五合目-店内トイレは、行列で時間がかかり1回50円。
案内所は空いていて綺麗で無料。六合目以上は一律1回200円。綺麗。
・小屋で売っている物…水350ミリリットル500円、
酸素缶1500円(下界では500円)その他大抵の物有。
早朝登山の人は、自前では足りず防寒着を500円で借りていました。
・お馬さん…7合目に待機。疲れた人を1時間半で五合目まで運びます。?円
・知らなかった登山事情…温泉から出てくると、スカートやサンダル履きの
街中ファッションに変身。山に行って来たなんて誰も思わない格好で
借りた荷物を返し、皆さん身軽に帰途について行。
・ルートの研究…持ち物ばかり気にして、歩行ルートの認識が甘かった。帰っ
て来てから情報を読んでも後の祭り!高山病は3000mから出る!
一人の女性のガイドさんは、下りだして暫くすると「お疲れ様でした。私は
先に下ります。」と、とっとこ行ってしまいました。下まで行ったら、今日のツ
アーの人達とまた登って来るんだそうです。今年の富士登山は37回目とか!
凄い人がいるものです。流石プロ!!
帰宅の次の日から腰、太もも、脹脛の筋肉痛は半端でなく、下半身はカタンコ
トンのピノキオ状態。しかしそれも3日で元に戻ると、
「何のトレーニングもせず、体力の無い私が3400mまで一気に行けたのは、上出来!いや奇跡に近いかも!」「もう、来ることはないだろうなぁ。体力は落ちる一方だし。。。」と下りてきたのに、「今回は気持ちも知識も中途半端!体力をつけ、ドーナツ無しでやっぱりもう一度リベンジでしょ。」の心に(@_@;)
(歩行中止まっての自由撮影は禁止・充電していった携帯なのに何枚も写せず電池切れ)