新着記事タイトル


記事内容

ちょこっとスポーツ/箱根駅伝と埼玉大学

ちょこっとスポーツ

箱根駅伝と埼玉大学

7代 原口

私は、ある時から陸上観戦オタクになりました。小さい頃から五輪や世界大会での陸上競技は好んで観戦していましたが、何と言ってもQちゃんの登場を機に、駅伝やマラソンはかかさず観るようになりました。駅伝で走り始めた頃から応援していたQちゃんが、シドニーで金メダルをGETした時は感動感激感涙でしたね。また、マラソン観戦で最高のレースは、2007年東京国際で野口みずきちゃんが北京行きの切符をGETした時です。とりわけ彼女がレース前にウォームアップとして国立競技場を軽々と4~5周したのには驚きました。そして、2時間20分後にスタート時より元気な足取りで姿を現わし、競技場を1周して感動のゴールイン。あの時の彼女は、シドニーのQちゃんと同じくらい強かったと思います。

というわけで、日本選手権や東京国際マラソンなどが近場で開催される時は競技場まで足を運びます。ま、会社の陸上観戦仲間と、ワンカップ片手に好きな選手を応援するわけで、純粋なファンとは言えないかもしれません。2005年の日本選手権のNHK放映時に、会場の様子の撮影場面で赤い顔をした自分が一瞬映っていまして、これは恥ずかしかったですね(笑・・)陸上競技場での観戦は、スポーツ観戦の中ではあまり人気がなく(音楽で言うとクラシックギターも同じように地味ですね・・)、日本選手権と言っても1000人程度の入りでしたから、テレビカメラの視野に入っていた自分も映ってしまったようです。



さて、今年もお正月3賀日は、恒例のニューイヤーから箱根駅伝でスタートしました。昨年の暮に、知人から酒屋で入手したということでサッポロビール提供の箱根駅伝ガイドブックをいただきました。無料の配布物ですが、なかなか貴重な記録が網羅されており、各チームの選手紹介と戦力分析、展開予想、そして過去の大会記録の頁がありました。
何気なくみていたら、ふと目がとまりました。
箱根駅伝は、来年で90回という伝統ある大会ですが、その第35回(昭和34年)に我が母校埼玉大学のチームが出場していたのです。結果は16チーム中後ろから3番目の14位でしたが、完走されたようです。近年途中で棄権するチームも多いので、完走するだけでも立派!!
ただ、その後は出場することが叶わなくなってしまったようです。ということで、埼玉大学にとっては記念すべき唯一の記録です。当時のことはよく知らないので、何かご存知の方がいらっしゃったらお話しを聞いてみたいものです。
最近話題の「走る公務員」川内選手は、自分の大学ではチームを組めずに関東学連選抜の一員として2回出場しています。箱根に「チームとして出場する」ということはそれくらい大変なことのようです。

今年の箱根駅伝は、予選会から出場した日体大が見事に優勝しました。選手の10000m平均タイムでは7位で下馬評では入賞レベルか?と目されていましたが、見事に全選手が自分の力を最大限発揮して栄冠を勝ち取りました。各選手の活躍も見ごたえありましたが、個人的には、レースの間のCMで何度か流れた、新旧の「山の神」今井選手と柏原選手が会話しながらランニングしている場面が感動ものでした。そして、その二人のニューイヤーですが、旧「山の神」今井選手、しばらく目立った活躍はなかったですが今年は見事に4区で区間新記録達成、反して、新「山の神」柏原選手は6区で4位とそれなりに力走したもののややほろ苦いデビューとなりました。今井選手は2月東京マラソン出場予定ですが、今度こそ優勝あるいは日本人トップになって欲しいです。
いずれ、この二人が日本の男子マラソン界の牽引役となって飛躍していくことを期待しています。『マラソン王国』日本頑張れ!!

カテゴリー: ちょこっと投稿 | 5件のコメント

仲間の近況/還暦過ぎてもギター三昧の日々/7代

7代 原口

卒部以降しばらく浦和の公民館で講師の活動をしていたが、転勤等もあり活動継続が難しくなり、30代からおよそ15年は全くギターと無縁の生活となり、ギターそのものへの関心も薄れていった。ギターも放置状態で弦が2~3本飛んでいた。

人生の折り返しを意識し始めた40代半ばに、とあるきっかけでギターを再開してから随分時間が経った。最初は、とにかく弦を6本揃えるところからの再スタート。「禁じられた遊び」もきちんと弾けない。「アルハンブラ」は全く指が動かない。その後1年くらい夢中で練習し直したら半分くらいまで戻ることができた。遊び半分で録音してみたら、思ったよりいい感じ。調子に乗って、やたらと録音をするようになった。まだ40代だったので、エネルギーがあったのだろう。もちろん昔のように速い曲は弾けなくなってしまったので、なるべくスローな曲は選んでポピュラー中心に録音して自分で聴いて楽しんだ。その頃は、還暦はほど遠く、まだ10年以上もあるのだから、昔と同じとは行かないまでも、還暦までには8割方戻るだろうとたかをくくっていた。

しかし、50代になって、会社の仕事が多忙を極め、いつしかまたギターを弾かなくなり、いったん戻った指も「元の木阿弥」。ストレス解消目的のお酒でアル中寸前の状態にまでなり、会社で捺印をする時にも指が震えてうまく押せない状態。当然それはギターにも影響を及ぼし、かつて一番動いていたiの指が全く言うことをきかなくなってしまった。
その後、たまたま、40周年式典の前後に4代Kさんや6代Sさんとメル友になり、刺激されてまたギターを弾くようになった。相変わらず、「iの指」は回復せず、いまだにリハビリ中。45周年式典の前に、6代のNさんから「OBで3重奏どうですか??」という話しを受けた。その頃は、人前で弾ける自信もなかったから、どうせならギタークラブ創設当時のメンバーが集まって合奏やったら面白いのでは??と思い立ち提案、NさんKさんSさんに賛同いただき団員募集活動を開始。そして、忘れもしない2010年7月18日12時運命の日、古代人が40年ぶりにあちこちから姿を現し、いきなり「真珠採りのタンゴ」を合わせた。「いけるじゃん!!」と思った。その日は練習後5~6時間くらい再会を祝して飲み明かした。これが『新生トレド』の始まりだ。

その後わずか2ヶ月の間にトントン拍子に5曲をマスターし、無事式典に間に合わせることができた。現役の皆さんとも合同で「真珠採りのタンゴ」を演奏した。あれは楽しかった。私は3rdでラスゲアードをバンバン出したら、当時現役バリバリのM君も対抗して普段の倍くらいの音を出してきた。演奏の良し悪しはともかく、ラスゲアード対抗合戦みたいな感じだった。
トレド発足ついでに、2010年8月22日合奏練習後の飲み会で「OBOG会創ろうよ」という話しがまとまり、こちらも1ヶ月弱の間に準備を進め、45周年式典の際に出席の皆さんの賛同をいただき発足、現在に至っている。思えば、たった3ヶ月の間に「歴史が変わった」わけで、意思を同じくした人間の結集力って凄いなと思った。

さて、話しが脱線してしまった。その後、私のギター人生であるが、トレドで2回の発表会を経験し、少しずつ人前で弾けるようにもなってきた。しかし、今でも指はぎこちなく、これは仕事多忙時に飲みすぎた罰かもしれないと思っている。先日のトレド第2回発表会で4代のKさんのソロの司会時に紹介されたコメント『弾くなら飲むな!飲んだら弾くな!!』は、まさに自分のためにあるような名言で、最近はいつもこの言葉を自分に言い聞かせて、いつかまた「iの指」がせめて普通でいいから動くように祈りながら、旅行の時以外自宅にいる日は、毎日かかさずギターを弾いている。いつかどこかで、ある会社員の方が出勤前にギター練習してから仕事に行くという新聞記事を目にした。その時は、そんな朝から指なんか動かないし気分的にも無理だよと思ったが、ま、一丁試してみるかということで、少しずつ始めてみたら、いつしか、恒例の朝練スタイルが身についてしまった。流石に朝から酒は入らないから丁度いいとも言える(笑・・)。

昨年の暮から、どうせ指が動かないのだから不完全でもいいから格好いい曲をと思い立ち、「タンゴ・アン・スカイ」の練習を始めた。ギター界の怪人?ディアンスの代表作で、村治佳織さんの十八番である。もちろん遊びとしてだが、この曲は弾いていて楽しい気分になる。こういう楽しさは、中学生の頃に無我夢中でギターに没頭していた時以来である。というわけで、私は還暦過ぎてもギター三昧の日々なのである。歳をとったせいか練習時間の割にはちっとも上達しないので、毎日イライラしどうしであるが、正気で上手くなりたいと思っている。ま、「上達意欲がある」というのは、ギターに限らずどんな趣味でも大切なことなのではとも思う。

カテゴリー: 50周年 | タグ: | コメントをどうぞ

仲間の近況/4代

黒川輝夫

Rrrrr…
冬の朝5時。目覚ましが鳴ってしばらくしてから起きる。
この時間はまだ暗い。電灯を点けずに手探りで着替える。
駅に向かう。左手には畑が大きく広がっている。畑の向こうは東の空。
夜明け前。空の下のほうは赤くなっている。その上は白。水色、青、そして濃い紫紺の天空。
素晴らしいグラデーション。きれい、きれい。

夏には、先の角を右に回ると、すでに昇った太陽が背中を照りつける。
四季を感じる道。

何か脚に違和感を感じるがそのまま歩く。

会社に着く。
ロッカールームで着替え。
???。!!!。
靴下のかかとが甲の方にきている。上下逆にはいていた。さっきの違和感の原因はこれだった。
サイズの大きい靴でひもをゆるめてはいているので、全然わからなかった。
普通のサイズの靴ならばはけなかっただろう。
暗い中での着替えには注意せねば。
うぅむ。

作業室に入る。
60を過ぎたら家で何か実験をしようと買い込んだ測定器が置いてある。
結局まだ仕事をしていて実現していない。家では邪魔者扱いされるので会社に置いてある。
早く使えるようになりたいな。

鉄の切粉が刺さったり、つめを割ったり、ギター弾きにとっては危険な職種。

一日が終わって、またロッカールームで着替え。
暖房は効いていたと思うけど、なんとなく肌寒かったな。風邪でもひいた?
???。!!!!!。
汗をかいてもひんやり涼しい夏の肌着を着ていました。
暗い中での着替えには注意せねば。
うぅむ。

合奏団の発表会。独奏をやります。すこし緊張。
アルペジオ。おっと、全然弾けない。
エンディング。かっこよく入るはずがここでずっこけた。
緊張は少しと思ったけれど、えらく影響が出た。
終わって、打ち上げ会。
やけ酒。
うぅむ。

日が変わって、合奏団の忘年会。
同期の人たちと近い席になりました。
大腸内視鏡:
「俺やったことあるぜ。」
「俺も。」
「俺もだ。」
何たる話題で盛り上がるか。
うぅむ。

みんな年とったね、身体に気をつけましょ。

こんな日々です。

カテゴリー: 50周年 | タグ: | コメントをどうぞ

唱歌・童謡裏話2 童謡「赤い靴の話」

この投稿はパスワードで保護されています。表示するにはパスワードを入力してください:


カテゴリー: 唱歌・童謡裏話 | コメントを読むにはパスワードを入力してください。

仲間の近況/23代

投稿、募集中です。
よろしくお願いします。

カテゴリー: 50周年 | タグ: | 5件のコメント

仲間の近況/合奏団トレド2nd在籍2年2カ月/7代

2012.12.27 7代 Y・S

皆さんこんにちは。                           
 昭和49年に卒業してから、何と38年9カ月が経ちました。そして、今年3月遂に還暦を迎えました。60歳と聞いて思うのは、「大人」「人生の大先輩」「人生の機微をわきまえ」、若者に人生を説く一つや二つの教訓を自身の中に持ち、会話をしていると、そこここに人生がにじみ出てくる蘊蓄があると言ったところでしょうか。
 では、自分は如何に?どう考えても性格は大学時代のまま。性格は変わらないとしても、考え方、人付き合い、判断力、行動力、優しさ、思いやり、教養、知識、経験…等々、何かは成長しているはずと、自己分析してみるのですが、何をとっても、僅かな経験を除いては、学生時代から殆ど進歩進展しているようには思えないのです。学生時代の明るく、ケセラセラと何にでも前向きで、目的をもって生き生きと生活していたのに比べ、今の淡々とした意欲のない蘊蓄も知識もない頼りない自分をみると、何とも情けなさを感じる60歳です。それだけ、努力・興味・関心が無い人間なんですね!つまり怠け者と言う事でしょうか!
 精神的な中身は伴わなくても、体はしっかり38年9カ月の年齢を確実に重ねるものです。膝が痛くなったり、腰痛が出てきたり、体のあちこちに思わぬ支障をきたし、小まめに動くのが億劫になり、白髪も顔の皺もぐっと増え、頬がこけ、外見を含め肉体はすっかり60歳になりました。(笑い)
 この未熟な精神と老いた肉体のギャップを残る人生で、トントンにすることはできるものでしょうか?
 ギターとの再会
 私は、48歳で教員を退職しました。独りで留守番をしていた母が、白内障の手術を拒み続けた事により、78歳位から視力がだんだん落ちてきたのです。その内、留守番する事への不安が増したのでしょう、表情も暗く食欲も減り痩せてきて、これ以上の負担はかっかけられないと思い、満80歳の3月をもって、延ばし延ばしにしていた退職をしました。
 その後、母もだんだん笑顔と食欲を取り戻し、旅行に出かけたり、食事に行ったり、散歩したり…。しかし、やがて新聞やテレビもしっかり見えなくなってきました。視力が低下しても楽しめる事はないか?と考え、思い浮かんだのが「歌」です。歌もただ歌うよりは音が有る方が楽しいはず。木琴?卓上鍵盤?そうだ!ギターが有った!と言う事で、40年前のギターを持ち出し、メロディを弾き、歌詞は見えるように大きく書いて、二人でよく歌いました。母のお得意は小唄系ですが、大体知っていて何でも歌います。昨年10月91歳で遂にホームに入居しましたが、今でも色々な歌を聞いたり歌ったりする事を楽しみに、どうにか元気に過ごしています。
 長々書きましたが、この事が私がギターと完全に再会するキッカケとなりました。その後教えてくれる人と出会った事もあり、45周年式典の数カ月前、「ギター合奏を式典でやりませんか?」との声掛けに、なんと「入れて下さい!」と立候補した事は、我ながら未だに驚きです。現役の時代も下手で、卒業後も殆ど弾く事なく、「禁じられた遊び」を年に何回か弾く位。それも、あの転調後の高音の「ドドドドレド」と「ドドドドシラ」のところは、いつも指が届かず弾けないままで、歌のメロディを弾きだした程度でしたから。。。
 「合奏団トレド」の始まり
その初練習の日、どんどん集まって来る先輩・同期と何と40年ぶりに再会したのです!今まで何の付き合いも連絡もなかった人達。でも全く違和感がないのです。「お久しぶり」の一言で時間は40年前に戻ってしまったよう。「真珠採りのタンゴ」を合わせた時、懐かしさでいっぱいになりました。こんな事が有るんだ!本当に、「人生先はわからない」と思いました。これが、今の「合奏団トレド」の始まりです。
 それから2年半、下手なりに「継続は力なり」の通り、月一回の練習参加と個人練習で、少しずつは弾けるようになって来ました。正直に言うと、あまりに弾けなくて、何度やめようと思ったか知れないのです。何故やめなかったのか?事務局を受けてしまったからか?いや、ギターに関わっていたい!このメンバーに加わっていたい!目標をこなしてみたい!等々、要するに「ギター部」にいたかったからと思います。
 大腸検査
突然ですが、昨日(26日)初めて内視鏡検査を受けました。なんと大腸です。目の前に着色していないタラの子のような所々に血管が走りピカピカつるつるの大腸が映し出されています。これが自分のお腹の中とは?不思議な感覚ではありますが、60年お世話になってきているのにとっても綺麗でビックリしました。
 1.5メートルの大腸に対し、カメラの長さが1.3メートルなので、引き寄せながら撮影するんだそうです。私の場合は75センチ位まで短くなったようです。空気を送りながらカメラを進ませるので、カメラの移動に沿ってお腹がぽこぽこ動きます。
医師はモニターをじっと眺めながら、両手で機械を操作し、時たま話しかけてきます。
「この機械を作った人は凄いですよね!」としきりと感嘆しているので、「機械を使いこなす技術も凄いですよね!」なんて返しながら。。。最後の方は、サービスなのか、「ここが小腸の入り口。ここが盲腸ですよ。」なんてせっかくだからと、色々見せてくれました。。。私としては、早く終わって欲しい気持ちでしたが。。。結果は、異常なし!本当にホッとしました。
 何故急に、こんな検査を受ける事になったのか?それは、16日の「トレド納め会・忘年会」で、八海山・南部美人等の美酒についつい手が伸び、飲み過ぎたのです。翌日から二日酔いが三日酔いに、売薬の胃薬を飲んでいるのに五日経っても胃の調子は治らず、遂にお医者へ。そして検査へと言う訳です。こんな事は初めて。12日経ってやっと元の胃に戻ってきました。やっぱり歳なんですね~。あぁ恐ろしかった!
 皆さんも、飲み過ぎ食べ過ぎにはくれぐれも注意して下さい!

 これから
 肉体と精神のギャップが大きく、人間的に中身が薄く、「これだけは自信がある・自慢できる」等と言うものが何一つ無い60歳ですが、そんな自分の力の無さを嘆くのではなく、健康で動ける事の有り難さに感謝しなければとつくづく思いました。
 今後も、月2回相棒君とボランティアで行っている母のホームでの「ギターで歌う会」と、月1回の合奏団トレドの練習、OBOG会とトレドの事務局の仕事、そして今年1月から始めた山歩き、カーブス(女性だけの30分フィットネス)週3回目標を継続しながら、大学時代とまでは行かなくても、前向きに、自分であり得るこの体と、生かして貰っているこの一日一日を大切に、楽しく生活して行かなければと改めて思う60歳の年の瀬です。
(これが私の近況です。皆さんの近況もお知らせください。)

カテゴリー: 50周年 | タグ: | コメントをどうぞ

ちょこっと新入団員奮戦記

11代 大城

 まず初めに、11月24日の合奏団トレド発表会においで下さった10代H夫人、Yさん、Yさん(旧姓しかわからないのですみません)、11代K君、Mちゃん、Tちゃん、そして可愛い後輩の12代F夫人、S夫人、ありがとうございました!本当に久しぶりにお会いできて、嬉しかったです。
 去年の今頃は、「トレド」に入団するなどとは、まったく考えもしませんでした。というのも、怖そうな先輩方、そして私から見たら「雲上人」のような方々がいらっしゃり、私とは無関係と思っていたからです。それが今年、先輩からお電話でギター練習の見学のお誘いを受け、「とにかく1回見学すれば義理が立つ」と思い、5月に同期のKちゃんを誘って(一人では怖かったので)、とりあえず見学に行きました。そしたら何と、意外や意外!ギターの音色に胸がキュン!としてしまい、在学当時に演奏した「そよ風と私」を聴いたら胸がワクワクし、「私も演奏したい!」と思ってしまいました。見学の帰りには、Kちゃんも私も、「弾けるのだろうか?」など、先のことは全く考えず、入団をほぼ決定していました。とにかく合奏に参加したくなってしまったのです。今から思えば、まるで魔法にかかってしまったような感じです。同期入団のHさんは「45周年の時の演奏を聴いてムラムラした」とおっしゃっていました。あれは「ムラムラ」という感じだったのでしょうか…。
 6月の体験練習を経て、7月に入団させていただきましたが、音階の弾き方も忘れ、セ-ハなどは音が出ず、調弦をすれば弦と違う弦巻を回してしまい、惨憺たるものでした。ところが、次第に感覚が少しは甦り、音階を思い出し、コードなども何となく思い出してきました。そしてまた、大きな驚きだったのは、怖いと思っていた先輩方が、実は怖くはなかった、むしろ優しかったということです。
 中途入団ですが、「真珠採りのタンゴ」はさすがに弾けるだろう、と思っていましたが甘かったです。「トレド版 真珠採りのタンゴ」があり、ほんの少しですが大学時代のものと違います。
私は3rdですが、ラスゲアードに入る最初の部分も違っていました(写真)。でもついつい前の癖が出てしまいます。
あそこも弾けない、ここも弾けない、という状態でしたが、練習すると弾けなかった部分が確実に弾けるようになり、それが喜びに繋がっていきました。まだまだですが、それでも最初に比べれば少しは弾けるようになってきました。
 普段は家で、パソコンから出てくる音に合わせて練習しています。Finale NotePad というのをダウンロードすると、楽譜から音が出てきます。これにはたいそう驚き、「文明の利器」の凄さを感じました。これにより、家でも練習しやすくなりました。
 練習後は近くの居酒屋で談笑します。ギター部の創設者のお一人であるMさんが、淡々とした表情で可笑しいお話をされたり、おしとやかそうなEさんが意外と活発だったり、ジャズの話が出たりギターの講義が聴けたりで、とても面白いので、用事がない限り、ついつい居酒屋に寄りたくなってしまいます。
 もし、またギターを弾いてみたいな、と思われる方がいらっしゃったら、怖がらずに是非見学にいらして下さい。来年はあの懐かしの「涙のトッカータ」も演奏する予定です。

カテゴリー: ちょこっと投稿 | 3件のコメント

第13回 生命の奔流 二題 その2:

この投稿はパスワードで保護されています。表示するにはパスワードを入力してください:


カテゴリー: 雑思雑考 | コメントを読むにはパスワードを入力してください。

ギターの特性-その2-

この投稿はパスワードで保護されています。表示するにはパスワードを入力してください:


カテゴリー: ギターの特性 | コメントを読むにはパスワードを入力してください。

第12回  生命の奔流 二題  その1:

この投稿はパスワードで保護されています。表示するにはパスワードを入力してください:


カテゴリー: 雑思雑考 | コメントを読むにはパスワードを入力してください。