10代 太田
今年の夏、「バッハゆかりの地への旅」の佐藤氏から連絡があり、国慶節の頃に約1週間の休暇があるので広州に来ないかとのお誘いがありました。あいにく私は仕事を休めず、大城さんだけ遊びに行くことになりました。(詳しくは「中国 順徳・広州旅行~第10代佐藤さんを訪ねて」参照)私も行きたくなり、11月に香港旅行を提案し、一旦は了承を取付けたのですが、佐藤氏がビザ取得のためにパスポートを提出するから行けないと伝えられ、やむなく旅慣れない二人(大城さんと太田)で、はじめての香港旅行とあいなりました。
11月15日(金)
10:35成田発の航空機で15:00香港着。ホテルへの送迎サービスを利用して香港島東部の北角というところにある宿へ夕方到着、18:00ごろよりビクトリア・ピークにでかけました。27度という急勾配のピーク・トラムに乗って山頂へ。金曜日の夜ということもあり、たった7分ほどのトラムに乗るまで約2時間待ち。でも途中斜めに見えるビル群も含めてきれいな夜景を満喫できました。さすが百万ドルですね。函館の夜景もビックリの規模でした。(ホテルの窓から見える夜景も意外ときれいでした)
11月16日(土)
午前中半日観光の周遊バスを利用しました。仕事や学業の神様のいる文武廟・ビクトリア・ピーク・アバディーンの観光船と周りました。途中ブーゲンビリアに似た花が咲いており、誰かが何の花かと質問していました。ヨウシ・ケイ(パウヒニアとも)といって、香港返還の花とされているそうで、紫色の可憐な花はあちこちで見かけられました。
午後は九龍の下町めぐり、地下鉄で旺角という駅まで行き、女人街という露店めぐりをしました。迷うたびに大城さんが道を聞いてくれ、なんとかたどりつきました。(私の英語は全く通じず、中国語に到っては早口でチンプンカンプン、もっぱらボディー・ランゲージにたよりました。)その後、男人街(露店の
立ち並ぶ夜のまち)・上海街(中国の合羽橋と言われる調理器具などの道具屋のまち)に行きましたが、男人街は夜早すぎて、上海街は夕方遅すぎて何が何やらさっぱりでした。半日観光のあと、香港文化中心(コンサート・ホールや展示スペースなどがありました。)で香港交響楽団40周年記念コンサートのチケットをゲットしました。「ガーシュイン ヒムセルフプレイズ 藍色幻想曲」と題したもので、自動演奏のピアノを中心に配した「ラプソディ・イン・ブルー」、「ポーギーとベス」、コール・ポーターの「キス・ミー・ケイト」、コープランドの「ロデオ」などが演奏されました。自動演奏ピアノはいかにもガーシュイン自身の演奏を録音したものと感じられましたが、演奏者のいないピアノは情緒がないという大城さんの意見にもうなずけました。
11月17日(日)
いよいよマカオ観光へ。トラムで上環まで行き、徒歩2分ほどのフェリー・ターミナルからターボ・ジェットで1時間ほどでつきました。乗船口で大城さんと話した中国人のおじさんはシンガポール在住で、「昔は香港も面白かったが・・・」と言っていたそうです。とにかく陽気なおじさんでした。華僑というのはどこの町にも順応できるたくましい人種なのでしょうか?
この日は年に一度の「マカオ・グランプリ」でターミナル周辺は人であふれかえっていました。10時半ごろにはもう始まっていて、帰るために戻った午後4時半ごろにもまだ開催中でした。
まず、外壁だけが残っている聖ポール天主堂跡。規模は壮大で、配置図や沿革も説明されましたが、壁だけでは物足りなかったかな?その後聖ドミニコ教会・セナド広場(議場跡)・蘆家屋敷跡を見て、ポルトガル料理店に行きたかったのですが結局たどりつけず、1時間以上さまよい歩き「ホテル・シントラ」というところでランチ終了時間寸前に何とか中華料理にありつけました。(食べたのはお粥や鶏飯でしたが)途中「ホテル・グランド・リスボア」というカジノ王の建てたけばけばしいホテルに入りましたが、1階にカジノがあり厳しい手荷物検査を受けながら吸い込まれていく人の列を見て、2階のレストランでは予約のない人お断りですごすごと立ち去るはめになりました。ポルトガル料理なんてとんでもない、予約はしっかりとりましょうということですね。
11月18日(月)
最後の日は買い物三昧の予定でしたが、マカオでお土産を買ったし、女人街や香港各地にある「恵泉(ウェルカム)」というスーパー・マーケットでも目ぼしいものがなかったため、地下鉄の終点・柴湾(チェン・ワン)駅周辺を散策しました。羅屋民俗館(客家の一族の住宅跡で、昔の家具や什器などの民俗
資料が展示されており、最後まで職員が付き添って見ていました。)を見て、柴湾公園周辺を歩きました。北角から柴湾までは、高層住宅が立ち並ぶ住宅街で、2日目の半日観光で聞いた香港の住宅事情(香港人は結婚年齢が年々高くなり、高価な住宅を大変な思いで購入し、月5万円ほどで外国人メイドを朝から晩まで働かせ、メイドは週1日の公休日を仲間と公園などでおしゃべりを楽しむ―実際に土日にどこまで行っても2.3香港ドルのトラムに乗ると、東南アジア出身のメイドさんとおぼしき人たちに囲まれ女の園状態になっていました。)を思い出し、香港人たちはこんな住宅に住むことを人生の目的にしているのかなあと思いました。
大城さんは中国で5・6回席を譲られたそうですが、杖を持った私はそれどころではなく、どこへ行っても香港人の親切さが身に染みました。道を聞いても親切に教えてくれるし、日本人バッシングなど感じられずに4日間を過ごすことができました。ガイドさんは歩き方でどこの国の人かわかると言っていましたが、さすが観光・産業立国香港ここにありといったところでしょうか?それにしても3本足の私もよく歩いた旅でした。こんなに歩いたのは何年ぶりかなあ。足が丈夫なら島の周辺にある山へのハイキング、時間があれば香港島南部のリゾート(スタンレーやレパルス・ベイなど)や水上生活者の生活もかいま見れればもっと楽しめたかもしれません。もう一度行けたら、今度は広州一泊旅行なども計画し、ついでに上海・杭州・蘇州観光もできたらいいなと思っています。どたばたと過ぎた4日間でしたが、香港ってこんなとこと感じていただければ幸いです。