スペイン紀行 第三回

 スペイン紀行(第三回)―グラナダ.ミハス

 第三回の旅は、グラナダからスタートです。
 その前に、ギターのルーツですが、リュート(琵琶のルーツ)だとばかり思っていました。それにしては小太り、失礼・・・。ギターは中世には今の6コースではなく4、or5コースだったそうです。イベリアにはビウエラという楽器があり6コースの複弦だったそうです。ビウエラ?ビオラの間違いでは?そうです、ビオラのルーツです。形はギターそのものです。ルネッサンス期以降にマージされたのでしょうか?また、楽譜はいつごろからあったのでしょうか?想像はこれくらいにして、本題に戻ります。
グラナダは、アンダルシア地方のグラナダ盆地に位置し、高い山々に囲まれています。この地もまた、中世(13世紀から14世紀)においては、イスラム人が水利設備を構築し、この地でも農業が発展する下地を構築しています。
 歴史的には、8世紀以降に真っ先にアル・アンダルス(イスラム・スペイン)の一部となりましたが、北部から始まったレコンキスタの勢いに押され文字通り最後の砦として位置し、キリスト教とイスラム教、そしてユダヤ教を信奉する人々のせめぎ合いが行われ15世紀初にグラナダが陥落するまで、この地でも異文化の融合がもたらされました。
 グラナダに縁のある人物の紹介です。
ギター関連で、マヌエル・デ・ファリャでカディスに生まれ、マドリードとパリで学んだあと、グラナダにある期間住んでいました。
 それでは、タルレガ作曲の「アルハンブラ(宮殿)の思い出」でも聴きながら写真と説明をみて、スペインの旅第三弾を味わっていただければと思います。

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 アルハンブラ宮殿は、ムーア人のスルタンがイベリア半島で統治し続け、最盛期には2千人が生活した最後の砦です。13世紀前半から15世紀初にかけて建てられた宮殿で、赤色の土(レンガ)で作られたため「赤い城塞」すなわち「アルハンブラ」と名づけられました。かつては七つの宮殿がありましたが、キリスト教の支配に変わってからは四つの宮殿が残りました。


 早朝の散歩がてらですが、最初にヘネラリフェ離宮へ向かう丘から狭い谷を挟んでアルハンブラ宮殿が見えました。


糸杉の通路を通り、


先はヘネラリフェ離宮にある庭園と噴水のあるアセキアの中庭です。


道すがら、早朝のグラナダ市街にグラナダ大聖堂を見ることができます。


しばらく歩き道を跨ぐ水路そして水の塔を横に見てからヒエロ門を通りいよいよアルハンブラ宮殿内へ入ります。


 ところで「アルハンブラ(宮殿)の思い出」を奏でるトレモロは、噴水の水音を形容しているといわれていますが、この水は北東の山々から水路や地下水路を構築して延々と引いてきたもので、貯水池を要所につくり、また、その高低差を活用していくつもの中庭の池はもとより立派な噴水までも造り上げると言うイスラム技術の高さをも賛美しているようにも思えて来ます。
 カルロス5世宮殿はレコンキスタ終了後にカルロス1世により建てられました。外周は四角形ですが、内部に入ると円形の広場があります。


 ところでカルロス5世の宮殿をカルロス1世が作ったとは???カール(Karl)5世は神聖ローマ帝国の国王であり、カルロス(Carlos)1世はスペイン王国の国王です。ちなみに、同一人物です。
 城壁の美しさを形作るアルカサバは残念ながら見れませんでした。
 まず四つの宮殿の最初はメスアール宮です。メスアールの間を抜けて、イサベル女王が大航海を行う船の建造を懇願したコロンブスと謁見した黄金の間を見て、

そして、丸い池を配置したメスアールの中庭です。


 つぎはコマレス宮です。印象的な鍾乳石の装飾がなされた空間、


そして大使の間を見て、長い長方形の池を配置したアラヤネス(コマレス)の中庭です。


アラヤネスは天中花という名の潅木で池の周りに植えられています。
 そしてレオネス宮です。鍾乳石飾りの間、悲劇が語られているアベンセラッヘスの間、諸王の間、そして二姉妹の間の四つの間に囲まれているライオンの中庭には、12頭のライオンの像が円形状の噴水を形成していて、そこへの水は上記四つの間から通路や庭に切られた溝を通り導水されています。かつては各々のライオンの口から1時間ごとに水を噴出していたそうです。このときは修理中とのことでライオンは見ることができませんでした。
 ご存知のようにイスラム教は偶像崇拝を禁じていますから、祈りの場(モスク、メスキータ)を設け、神に祈ることを大切にしています。したがって各宮殿を彩るアラベスク模様には宇宙や永遠が記され、また、鍾乳石の装飾には、救いや包容の意味が込められているようです。


 リンダラハの庭


を眺めながら廊下を通り回廊を渡る際に見渡せる景色がアルバイシンの丘です。


昨夜は、あちらの丘からこちらの丘を眺めていました。
 最後にパルタン宮です。イサベル女王が主に暮らした場所とのこと。
宮殿のなかで一番古いパルタン宮殿にある貴婦人の塔とパルタン庭園です。


かつて聖フランシスコ修道院には、イサベル女王が遺言に従って安置されて居ました。現在は、グラナダ大聖堂に移されて夫のフェルナンド2世とともに永久の眠りについています。
グラナダが開放されてからスペイン(ローマ人がイスパニアと称した)が世界に大きく羽ばたく大航海時代の到来を告げることになります。
 グラナドス作曲の「アンダルーサ」でも聴きながら、スペインの旅第三弾後半を味わっていただければと思います。
 次に訪れたのはコスタ・デル・ソル(太陽海岸)にあるミハス地方です。グラナダから距離にして南西へ約150kmを移動です。途中は、ほとんどが山岳地帯を縫う道路を使っての移動で、グラナダに近い場所ではオリーブ畑が一面を覆い、さらに高地に近づくと一面が薄ピンク色の花をつけたアンズ(アプリコット)の木に覆われていました。この地は、歴史的には、他の地と同様、イベリア人、フェニキア人、ユダヤ人、ローマ人、そしてイスラム人の住むところとなり、現在では、気候も温暖な土地柄から英国からも避暑・避寒にくるほどの人気だそうです。飛行機で2時間ほど、数千円で来れるそうです。
 バスを降りて散策していると品の良さそうなロバがたたずんで居ました。


丘の中腹に広がる別荘地にはプール付豪邸が数多く見ることができますが、この眺望は更に高い場所にあるミハスのレストランから眺めることができます。


更に、天気がよければ海の向こうにはアフリカ大陸が見えるそうですが今回は霞んで見えませんでした。残念。
 また、ミハスから約150kmを南西に下りると英国領ジブラルタルです。アフリカ大陸までは十数km、ほんとに近い。
 さあ、次回は、セビージャそしてコルドバです。

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